Re: 検察のメンツを保つ為処刑 飯塚事件
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/08/22 23:26 投稿番号: [16242 / 17759]
こんにちは
>こんばんわ。相変わらず曲解の嵐のように思われて・・
えっ?そうなんですか?
私は、オオタグロさんとのやりとりを見ても、ドラさんは良く読んでいないのではないのかなあと思っていました。私とのやりとりも同様だなあと感じていました。
>>少年法と犯罪率減少の関係は無関係、もしくは関連性が薄いということでいいのでしょうか?
わざわざこう書いたのも、ドラさんとのやりとりでは、私の書いたモノがどう評価されているのかが分からないまま、次々と変わっていくので、いちいち確認の必要があると考えて、書きました。
>【日本の少年犯罪は、凶悪なものも含め、欧米から比べると、犯罪率が著しく低い】そうです。
たとえばこれが少年法のおかげなのか、日本社会の独特の伝統とか風習のおかげなのか、日本人の気質の所為なのか、全く明らかにされていないわけですよね?
これを放ったままで次の話に進むことは、またまたいつものように同じはなしの繰り返しになってしまうのは当然ですよね?
児童福祉司さん達のご苦労も頭の下がる思いがありますが、しかし、たとえば、アメリカ合衆国は様々な文化の人たちが集まっているわけで、島国日本のようなある程度統一された倫理観にどっぷりつかっているようなある種相互監視でき安い国と比較して、犯罪が多い理由が、それが法律のおかげだということにするには少し乱暴ではなかろうか?と思いますけどね。
犯罪を押さえるのは、これまでさんざん家庭環境の所為だとお書きだったモノですから、法律の影響は少ないということでいいのか?と念を押したモノです。
>という事は、不介入のまま放任?
なかなか難しいと書いているんです。
>>少年犯罪や、冤罪の問題は問題の本質とは無関係である。
>>・ ・まずはそのことから冷静に理解し、判断するべきだと思う。
>死生観だけで、裁判所は死刑求刑するんですか?
「死刑制度」の有無を論じているんですよねえ?
死刑求刑とか、冤罪とか、少年犯罪は「死刑制度」とは無関係に存在するはずです。「死刑制度」があってもなくても、冤罪や少年犯罪は存在する筈です。
>もし【死刑制度がなければ】、
>無実の人間は冤罪を証明できる機会が持てる。
ですから、私は「冤罪を無くすような法整備」のための運動ならば賛成しますが、「死刑制度廃止」は反対ですと前々から主張しています。この意味がいつも分からないんですよねえ?
先日私の死刑反対派の友人と話をしていたのですが、その友人も、ドラさんと同じことを言いました。
「衆人環視の元での現行犯逮捕であれば、冤罪は存在しないはずだからそういう犯罪者には死刑があってもいいのではないか?」といいましたが、「人間のやることには必ず間違いが存在する可能性があるモノだから、その場合でさえ絶対に冤罪がないとは言い切れないからやはり死刑はいけない」といいました。たとえ、99.9999%冤罪の可能性がないとしても、その残りの0.0001%のリスクを負いたくないというわけです。おそらくは私の友人やドラさんだけではなくて、死刑廃止論者の多くの人がそう考えているのだろうなと思います。
しかし、「制度」としてなくするということは、国家の権力を使って、おそらくは自分の最愛の家族を殺した犯人に対して、「極刑にしてほしい」と願っているすべての遺族から強引に強制的にその「願い(無念の心)」を剥奪するということです。・・国家権力が「制度」として剥奪するんですよ?
「死刑」は国家の制度として人を殺すことだから駄目だというのかも知れないけれども、絶対に凶悪な殺人犯(つまり絶対に人を殺すことがいけないというその絶対をまず犯している人間)だということがハッキリしている犯人に対して、これさえも罰としての死刑は駄目だとするのは、完全な「思考停止」に陥っているもしくはリスクを冒さない責任回避行為ではないか?ともう一度自分自身を考え直してみた方がいいと思っています。
>>その上で、死刑廃止論者の人は、ただこういえばいいんだ。
>>「殺された人間や遺族のことなんて知ったことじゃない。
>>私は人間が自分の欲望のために人を殺すことには寛容だが、人間が罰として人間を殺すことには絶対反対である。」・・・と。
>そんな事を言ってる死刑廃止論者がいますか?
ドラさんの主張はそういっていると私には聞こえています。
もしこれが間違えているかも知れないと思うのであれば、もう少しご自分の考え方を思い起こしてみたらどうだろうと思います。あまりにも無自覚に感じます。
>こんばんわ。相変わらず曲解の嵐のように思われて・・
えっ?そうなんですか?
私は、オオタグロさんとのやりとりを見ても、ドラさんは良く読んでいないのではないのかなあと思っていました。私とのやりとりも同様だなあと感じていました。
>>少年法と犯罪率減少の関係は無関係、もしくは関連性が薄いということでいいのでしょうか?
わざわざこう書いたのも、ドラさんとのやりとりでは、私の書いたモノがどう評価されているのかが分からないまま、次々と変わっていくので、いちいち確認の必要があると考えて、書きました。
>【日本の少年犯罪は、凶悪なものも含め、欧米から比べると、犯罪率が著しく低い】そうです。
たとえばこれが少年法のおかげなのか、日本社会の独特の伝統とか風習のおかげなのか、日本人の気質の所為なのか、全く明らかにされていないわけですよね?
これを放ったままで次の話に進むことは、またまたいつものように同じはなしの繰り返しになってしまうのは当然ですよね?
児童福祉司さん達のご苦労も頭の下がる思いがありますが、しかし、たとえば、アメリカ合衆国は様々な文化の人たちが集まっているわけで、島国日本のようなある程度統一された倫理観にどっぷりつかっているようなある種相互監視でき安い国と比較して、犯罪が多い理由が、それが法律のおかげだということにするには少し乱暴ではなかろうか?と思いますけどね。
犯罪を押さえるのは、これまでさんざん家庭環境の所為だとお書きだったモノですから、法律の影響は少ないということでいいのか?と念を押したモノです。
>という事は、不介入のまま放任?
なかなか難しいと書いているんです。
>>少年犯罪や、冤罪の問題は問題の本質とは無関係である。
>>・ ・まずはそのことから冷静に理解し、判断するべきだと思う。
>死生観だけで、裁判所は死刑求刑するんですか?
「死刑制度」の有無を論じているんですよねえ?
死刑求刑とか、冤罪とか、少年犯罪は「死刑制度」とは無関係に存在するはずです。「死刑制度」があってもなくても、冤罪や少年犯罪は存在する筈です。
>もし【死刑制度がなければ】、
>無実の人間は冤罪を証明できる機会が持てる。
ですから、私は「冤罪を無くすような法整備」のための運動ならば賛成しますが、「死刑制度廃止」は反対ですと前々から主張しています。この意味がいつも分からないんですよねえ?
先日私の死刑反対派の友人と話をしていたのですが、その友人も、ドラさんと同じことを言いました。
「衆人環視の元での現行犯逮捕であれば、冤罪は存在しないはずだからそういう犯罪者には死刑があってもいいのではないか?」といいましたが、「人間のやることには必ず間違いが存在する可能性があるモノだから、その場合でさえ絶対に冤罪がないとは言い切れないからやはり死刑はいけない」といいました。たとえ、99.9999%冤罪の可能性がないとしても、その残りの0.0001%のリスクを負いたくないというわけです。おそらくは私の友人やドラさんだけではなくて、死刑廃止論者の多くの人がそう考えているのだろうなと思います。
しかし、「制度」としてなくするということは、国家の権力を使って、おそらくは自分の最愛の家族を殺した犯人に対して、「極刑にしてほしい」と願っているすべての遺族から強引に強制的にその「願い(無念の心)」を剥奪するということです。・・国家権力が「制度」として剥奪するんですよ?
「死刑」は国家の制度として人を殺すことだから駄目だというのかも知れないけれども、絶対に凶悪な殺人犯(つまり絶対に人を殺すことがいけないというその絶対をまず犯している人間)だということがハッキリしている犯人に対して、これさえも罰としての死刑は駄目だとするのは、完全な「思考停止」に陥っているもしくはリスクを冒さない責任回避行為ではないか?ともう一度自分自身を考え直してみた方がいいと思っています。
>>その上で、死刑廃止論者の人は、ただこういえばいいんだ。
>>「殺された人間や遺族のことなんて知ったことじゃない。
>>私は人間が自分の欲望のために人を殺すことには寛容だが、人間が罰として人間を殺すことには絶対反対である。」・・・と。
>そんな事を言ってる死刑廃止論者がいますか?
ドラさんの主張はそういっていると私には聞こえています。
もしこれが間違えているかも知れないと思うのであれば、もう少しご自分の考え方を思い起こしてみたらどうだろうと思います。あまりにも無自覚に感じます。
これは メッセージ 16241 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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