Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/06/06 14:04 投稿番号: [16190 / 17759]
>>ドラさんは、家庭環境が悲惨な人が自分の子供を殺していても、黙って許して、なすがままにさせておけるでしょうか?相手が何者であろうが、(国家が許している)正当防衛として、あらゆる手段でそれを阻止するはずですよねえ?
>ちょっと意味が分かりません。
他人事と我が事、内面と外面、本音と建て前、・・いろいろ対比する言葉がありますが、確か私の解釈では、仏陀の教えで、(他人事を)我が事のように感じる事が大事であると書いてあったと思います。これは何も、仏陀だけでは無くて、キリストも確かそう言ったと思います。
他人の子供の命を自分の子供の命に置き換えてみた場合、結局最終的には自分の目の前で自分の子供が殺害されていたとしたら、その殺人者を殺してでもその行為を阻止すると言う事は容易に考えられる事ですが、ドラさんもそうでしょう?と書いているんです。他人が人を殺すようになった生育環境だけが特化して、いろいろな意味でのバランスが欠如していないでしょうか?
おそらくは、それが「他人事」だからじゃ無いかなあ?と、私はドラさんの文章を見ていてそう感じてしまいます。
>犯罪と生育歴は関係はあるが、誰か理解者がいれば防げたかもと。
それはそうかも知れませんが、もしこれが自分の身内が殺されていたとして、だから可哀想だから彼の罪を許してあげましょう・・とはなりませんよねえ?
まさか自分の身内が殺されている時に、「私が理解者です」とか言っても、その身内は守れ無いですから、やはり殺してでも自分の身内を守ろうとするはずですよねえ?罪を起こす前の「予防行為」と、起こしてしまってからの行為をごちゃごちゃに混同するべきでは無いと思います。
そうで無くても「内心の自由の保証」「夫婦不介入の原則」等、私達は自分のプライバシー保護のために、家庭の中への国家権力の介入を拒否しているわけですから、細かいところでの一家庭内の事に関しては、なかなか踏み込めないと言う現実も、受け入れなければなりません。
地域との協力も言われていますが、全ての事案に関して「理解者」が存在するはずもありませんし、たとえ理解者がいたとしても、だからといって全ての犯罪を阻止する事ができない事も自明ですよねえ?
>>「社会が補償すべきものが見えてくる」って言うのは、私には、精神医学者の怠慢の言い訳にしか見えません。
>精神医学者が犯罪防止をしろと??
精神医学者が犯罪者予備軍に対して「社会が補償すべきものが見えてくる」と書いているわけですから、彼等がそんな事まで分析できると言うのは、「今はできていないけれども、犯罪者を研究する事ができれば」と言う前提付きでの発言でしょう?そんな事ができるんですか?と言う私の問いであり驚きでもあったわけです。もしできるのであれば、今現在、そうなっていないと言う事は学者の「怠慢」でしょうと言う事です。
>殺された人間が全て弱者であるとは限りません。
・ ・・・何をかいわんや・・・ですかねえ。
これによると、(国家によって死刑と言う刑罰で)殺された人間が全て弱者であるとは限りません。・・・と言う事もできますよねえ。
・ ・・・どうします?この矛盾・・・?この偏り方・・?
>>ドラさんの主張は・・「自分は手を汚したくない側にいたい」という、善意で凝り固まった圧倒的多数者による、被害者という圧倒的な少数者への無自覚な弾圧に他なりませんよ。
>圧倒的多数は死刑容認です。
予想した通りの返事が帰ってきますねえ。
死刑反対運動をする事によって、結果的には、圧倒的多数側に有利な状況を作る事が目的なんでしょう?国際的に死刑反対は多数派だとか、先進国の中では日本の人権意識は遅れていると言うような印象を書き込む事によって、結果として人を殺した人を必要以上に弁護しようとする人を募るための「多数派工作」に他ならない行為ですよねえ?
その意味から言えば、殺人を起こした方も殺された方も「少数派」に違いは無いわけですが、ではどちらの視点がより重要視されるべきか?と言えば、私は「殺された側」の方が重要だと思うわけです。
>終身刑があれば死刑廃止でも良いという人も多い。
これも「第三者的意見」ですよね?
>あら、思ったよりもお年だったんですね〜(-.-)
覚えておられないのだと思いますが、イラクトピで、初めてお話させていただいた時に、ドラさんがかなりお歳で、「こんなおばあちゃんでもいいですか?」と言う書き込みに、「私も歳ですから」と言うようなやり取りはあったのです。
もう何年も前の事ですが・・汗
>ちょっと意味が分かりません。
他人事と我が事、内面と外面、本音と建て前、・・いろいろ対比する言葉がありますが、確か私の解釈では、仏陀の教えで、(他人事を)我が事のように感じる事が大事であると書いてあったと思います。これは何も、仏陀だけでは無くて、キリストも確かそう言ったと思います。
他人の子供の命を自分の子供の命に置き換えてみた場合、結局最終的には自分の目の前で自分の子供が殺害されていたとしたら、その殺人者を殺してでもその行為を阻止すると言う事は容易に考えられる事ですが、ドラさんもそうでしょう?と書いているんです。他人が人を殺すようになった生育環境だけが特化して、いろいろな意味でのバランスが欠如していないでしょうか?
おそらくは、それが「他人事」だからじゃ無いかなあ?と、私はドラさんの文章を見ていてそう感じてしまいます。
>犯罪と生育歴は関係はあるが、誰か理解者がいれば防げたかもと。
それはそうかも知れませんが、もしこれが自分の身内が殺されていたとして、だから可哀想だから彼の罪を許してあげましょう・・とはなりませんよねえ?
まさか自分の身内が殺されている時に、「私が理解者です」とか言っても、その身内は守れ無いですから、やはり殺してでも自分の身内を守ろうとするはずですよねえ?罪を起こす前の「予防行為」と、起こしてしまってからの行為をごちゃごちゃに混同するべきでは無いと思います。
そうで無くても「内心の自由の保証」「夫婦不介入の原則」等、私達は自分のプライバシー保護のために、家庭の中への国家権力の介入を拒否しているわけですから、細かいところでの一家庭内の事に関しては、なかなか踏み込めないと言う現実も、受け入れなければなりません。
地域との協力も言われていますが、全ての事案に関して「理解者」が存在するはずもありませんし、たとえ理解者がいたとしても、だからといって全ての犯罪を阻止する事ができない事も自明ですよねえ?
>>「社会が補償すべきものが見えてくる」って言うのは、私には、精神医学者の怠慢の言い訳にしか見えません。
>精神医学者が犯罪防止をしろと??
精神医学者が犯罪者予備軍に対して「社会が補償すべきものが見えてくる」と書いているわけですから、彼等がそんな事まで分析できると言うのは、「今はできていないけれども、犯罪者を研究する事ができれば」と言う前提付きでの発言でしょう?そんな事ができるんですか?と言う私の問いであり驚きでもあったわけです。もしできるのであれば、今現在、そうなっていないと言う事は学者の「怠慢」でしょうと言う事です。
>殺された人間が全て弱者であるとは限りません。
・ ・・・何をかいわんや・・・ですかねえ。
これによると、(国家によって死刑と言う刑罰で)殺された人間が全て弱者であるとは限りません。・・・と言う事もできますよねえ。
・ ・・・どうします?この矛盾・・・?この偏り方・・?
>>ドラさんの主張は・・「自分は手を汚したくない側にいたい」という、善意で凝り固まった圧倒的多数者による、被害者という圧倒的な少数者への無自覚な弾圧に他なりませんよ。
>圧倒的多数は死刑容認です。
予想した通りの返事が帰ってきますねえ。
死刑反対運動をする事によって、結果的には、圧倒的多数側に有利な状況を作る事が目的なんでしょう?国際的に死刑反対は多数派だとか、先進国の中では日本の人権意識は遅れていると言うような印象を書き込む事によって、結果として人を殺した人を必要以上に弁護しようとする人を募るための「多数派工作」に他ならない行為ですよねえ?
その意味から言えば、殺人を起こした方も殺された方も「少数派」に違いは無いわけですが、ではどちらの視点がより重要視されるべきか?と言えば、私は「殺された側」の方が重要だと思うわけです。
>終身刑があれば死刑廃止でも良いという人も多い。
これも「第三者的意見」ですよね?
>あら、思ったよりもお年だったんですね〜(-.-)
覚えておられないのだと思いますが、イラクトピで、初めてお話させていただいた時に、ドラさんがかなりお歳で、「こんなおばあちゃんでもいいですか?」と言う書き込みに、「私も歳ですから」と言うようなやり取りはあったのです。
もう何年も前の事ですが・・汗
これは メッセージ 16187 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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