Re: 被害者遺族の感情と死刑廃止(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2009/01/25 15:14 投稿番号: [16017 / 17759]
>刑務所内の人権損害は、日本ではかなり酷いようです。
個人の自由を制限されるということが苦痛なのであって、それが刑罰になるのだと思いますが、実際にはこれも個人差が相当ある可能性もあり、個人的にはこれが絶対的な「罰」として成り立ちうるのかどうか疑問だとも思っています。
ですから、
>しかし諸外国では、刑務所内から電話できたり(米だったか)、冷暖房もあったり、必要な医療も受けられる・・・少しでも【人権に配慮】しています。
必要最小限の衣、食、住、医が整備されているのならば、他のものは「過剰」であって、ドラさんの「人権に配慮」というものには承伏できかねます。おそらく「刑罰」というものは、人間の自尊心を最後の砦だとして、その自尊心を傷つけられることが「罰」として機能すると考えますが、人によっては過剰な人権保護は何の刑罰的な意味を持たないと思います。おそらくは人によっては、ちょっとした考え方の変化によって、たとえば別荘のような居心地のよい住空間と化してしまうこともあり得るのではないでしょうか?アラモアナのようなものは極端であり、また、冷暖房完備の電話自由の刑務所も極端なのだと思います。
少なくとも私は支持しません。
>日本は国連からこういった処遇についても勧告を受けていました。
アハハ、だから国連もおかしいところがあると再三書いていますよ。もちろん虐待はだめだということは常識です。
>しかし、殺人者でも、実際には【まだ人間のまま】だとおもいますが当然。
もちろん地獄草紙の作られた頃から悪鬼のたぐいになるといっても人間の姿はしていたわけです。これは観念のお話ですし、人権も観念のお話ですよねえ?「畜生道」が観念的だと否定されるのであれば、同様に人権も否定されてしかるべきですよねえ?
>裁判には制裁という面も、更正という面もあると思いますが。
ん?
その現行の裁判を肯定するのであれば、当然その中に「死刑」は含まれるわけですが・・?
>>欧米の倫理基準とか、国家形成のヒエラルキーとかは、皆唯一の「神」の存在によって成り立っていると考えられるわけですよねえ?
>そうなんですか?
>宗教には関心が無くて。
ごめんなさい。私も詳しくはないのですが、遙か昔に、「王権神授説」とか習ったことを思い出しながら書いています。その名残がたとえば大統領就任式においての聖書による宣誓だったりすると思いますが、後、「モーゼの十戒」以降のハンムラビ法典経由の英米法、仏独法の成立があり、根源には、「聖書の神」が基本的な倫理観の下になっていると考えてもいいと思っていましたがどうなんでしょう。
ですから、宗教に関心があろうが無かろうが、「人権」なんかを語る場合、その基準はキリスト教の価値観に左右されるということは全くの的はずれではないと思っていました。
>裁判でナットクできない判決など、山ほどあります。
システムとして極刑が考慮の内にないということが問題で、納得できるかどうかはこの問題の骨子ではありません。死刑が存続しようが廃止されようが、それらとは無関係に納得できない判決は存在し得ます。
>これも福祉があれば、防止できるものでしょう
しかしこれも「死刑廃止」を擁護する根拠にはなり得ません。
>光市事件のような報酬の無い事件を受け持ったとしても
>【家庭の幸福】には少しも寄与しませんから、この問題とは無関係でしょう。
青春の独身の頃の「青雲の志」を維持していくには、多くのものを捨てなければなかなか続けていけないのだろうなと思います。良い悪いは別にして、そういう意味では手弁当で自分の意志に忠実な生き方をしている弁護士さんたちには敬意の念を持っています。
でもその自分の「確信」が間違えているのかもしれないというような問いかけ(葛藤)は絶えず持った方が良いと思います。まあ持っているとは思いますが・・。
でなければただの破壊的カルト信者と何の違いもないと思います。
>こういった男を選出する選挙民の心理は大変興味深いし、
>知名度さえあれば当選できるのかな。
そのまんま東とかが自民党の総裁選に出馬するとかの噂もありますが、こんなことで良いんでしょうかねえ?
私は都民ではないですが、慎太郎さんが300万票とったときに、ある程度あきらめがつきました・・。
※どこかのサイトでみましたが、アメリカだかカナダでは、死刑廃止の法律があるために、警官による発砲によって、裁判以前に殺してしまうというようなことを容認するといった風潮があるとか・・。これが本当だとしたら、めちゃくちゃですね。
個人の自由を制限されるということが苦痛なのであって、それが刑罰になるのだと思いますが、実際にはこれも個人差が相当ある可能性もあり、個人的にはこれが絶対的な「罰」として成り立ちうるのかどうか疑問だとも思っています。
ですから、
>しかし諸外国では、刑務所内から電話できたり(米だったか)、冷暖房もあったり、必要な医療も受けられる・・・少しでも【人権に配慮】しています。
必要最小限の衣、食、住、医が整備されているのならば、他のものは「過剰」であって、ドラさんの「人権に配慮」というものには承伏できかねます。おそらく「刑罰」というものは、人間の自尊心を最後の砦だとして、その自尊心を傷つけられることが「罰」として機能すると考えますが、人によっては過剰な人権保護は何の刑罰的な意味を持たないと思います。おそらくは人によっては、ちょっとした考え方の変化によって、たとえば別荘のような居心地のよい住空間と化してしまうこともあり得るのではないでしょうか?アラモアナのようなものは極端であり、また、冷暖房完備の電話自由の刑務所も極端なのだと思います。
少なくとも私は支持しません。
>日本は国連からこういった処遇についても勧告を受けていました。
アハハ、だから国連もおかしいところがあると再三書いていますよ。もちろん虐待はだめだということは常識です。
>しかし、殺人者でも、実際には【まだ人間のまま】だとおもいますが当然。
もちろん地獄草紙の作られた頃から悪鬼のたぐいになるといっても人間の姿はしていたわけです。これは観念のお話ですし、人権も観念のお話ですよねえ?「畜生道」が観念的だと否定されるのであれば、同様に人権も否定されてしかるべきですよねえ?
>裁判には制裁という面も、更正という面もあると思いますが。
ん?
その現行の裁判を肯定するのであれば、当然その中に「死刑」は含まれるわけですが・・?
>>欧米の倫理基準とか、国家形成のヒエラルキーとかは、皆唯一の「神」の存在によって成り立っていると考えられるわけですよねえ?
>そうなんですか?
>宗教には関心が無くて。
ごめんなさい。私も詳しくはないのですが、遙か昔に、「王権神授説」とか習ったことを思い出しながら書いています。その名残がたとえば大統領就任式においての聖書による宣誓だったりすると思いますが、後、「モーゼの十戒」以降のハンムラビ法典経由の英米法、仏独法の成立があり、根源には、「聖書の神」が基本的な倫理観の下になっていると考えてもいいと思っていましたがどうなんでしょう。
ですから、宗教に関心があろうが無かろうが、「人権」なんかを語る場合、その基準はキリスト教の価値観に左右されるということは全くの的はずれではないと思っていました。
>裁判でナットクできない判決など、山ほどあります。
システムとして極刑が考慮の内にないということが問題で、納得できるかどうかはこの問題の骨子ではありません。死刑が存続しようが廃止されようが、それらとは無関係に納得できない判決は存在し得ます。
>これも福祉があれば、防止できるものでしょう
しかしこれも「死刑廃止」を擁護する根拠にはなり得ません。
>光市事件のような報酬の無い事件を受け持ったとしても
>【家庭の幸福】には少しも寄与しませんから、この問題とは無関係でしょう。
青春の独身の頃の「青雲の志」を維持していくには、多くのものを捨てなければなかなか続けていけないのだろうなと思います。良い悪いは別にして、そういう意味では手弁当で自分の意志に忠実な生き方をしている弁護士さんたちには敬意の念を持っています。
でもその自分の「確信」が間違えているのかもしれないというような問いかけ(葛藤)は絶えず持った方が良いと思います。まあ持っているとは思いますが・・。
でなければただの破壊的カルト信者と何の違いもないと思います。
>こういった男を選出する選挙民の心理は大変興味深いし、
>知名度さえあれば当選できるのかな。
そのまんま東とかが自民党の総裁選に出馬するとかの噂もありますが、こんなことで良いんでしょうかねえ?
私は都民ではないですが、慎太郎さんが300万票とったときに、ある程度あきらめがつきました・・。
※どこかのサイトでみましたが、アメリカだかカナダでは、死刑廃止の法律があるために、警官による発砲によって、裁判以前に殺してしまうというようなことを容認するといった風潮があるとか・・。これが本当だとしたら、めちゃくちゃですね。
これは メッセージ 15993 (dorawasabi5001 さん)への返信です.
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