“平和ボケ”のお部屋

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Re: “平和ボケ”のお部屋

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/08/12 04:03 投稿番号: [15746 / 17759]
こんにちは、覚えていてくださって嬉しいです。

>子供は環境や親を選べません。
>死刑求刑されるような犯罪者は、殆どが【精神病か不遇な生育歴】だといいます。

死刑問題は、おそらくは個人個人の死生観に基づいて判断されているモノですから、おそらくは議論することは徒労に終わりやすいので、あまりしたくはありません。
私はそもそも因果応報が基本だと思っているので、人を殺したら自分もその死に値するだけの罪科が発生するのは当然だと思っています。

勿論死刑廃止論者の方々は、その死刑という行為を国家が制度として作り上げ、代行すると言うことが問題だとしているのでしょうから、それに、私も異議はありません。しかし、「私刑(敵討ち)」という行為(権利)を国家が市民から取り上げている以上、それを国家が代行しなければならない責任が生まれると思います。でなければ、被害者として殺された人の生きる権利(こういうモノがあるとして)は誰が保証してくれるというのでしょうか?

こういう死刑問題で言われ尽くされていると思いますが、犯罪者の人権が重視されるあまり、被害者の人権は全く顧みられないと言う被害者側からの不満があることをきれいに解消してくれるような、私の納得のいくような説明をいまだに聞いたことがありません。


そう言う意味で、「恩讐の彼方に」という小説は、(実は私の故郷にその現場があるので話自体は知っていたのですが)犯罪者の悔悟の念と、実際的な罪滅ぼし行為が、被害者の見る限り十分に果たされ、敵討ちの権利を本人をして放棄させ得るほどに、相互間のわだかまりが消えたので、彼の罪は許された(昇華された)というわけです。
ここに国家(権力)の介入は存在しないわけです。


光市の問題として、あの手紙がありますよねえ?一人の少年が、人を殺したという現実に対して、どれだけの反省をしているのか?ということに対して疑問があります。なぜ人を殺したか?という動機(※これについてはあとで書きます)も大事ですが、人を殺したあと、それをどう考えているか?ということはもっと重要なことのように感じます。人を殺すという罪の重さは、(どこかの収容所に入って)人に教えられるモノではなくて、自分で自発的に感じなければ本物ではないと思います。・・・収容所等で誘導されるモノは全てが偽物であるとは考えませんが。



※ 元々私は、「精神病」や「未成年だから」等での殺人行為が、どうして減罪(有罪無罪の判定の根拠)の対象になるのか?さえ分かりません。
「家裁の人」は昔よく読んでいましたが、「青少年の未来のために少年法がある」という趣旨には賛同しますが、だからといって、自分が犯した「殺人」という行為が消えてなくなるわけではないし、被害者もいなくなるわけではありません。殺人と言う罪を犯してしまった・・・ここには、長幼の差はないと考えています。
「一生この罪を背負って生きて生きなさい」と指導するのと、「ここに来たことで、罪は精算された。ここから出たら新しい人生を生きる権利があります。」と指導するのとでは全く違うと思います。前者であれば、少し納得できますが、よく言われるのは後者ですが、実際はどうなんですかねえ?
また、「病気だったのだから、そのときの君は本当の君自身ではなかったんだから罪は問われない。そして、その病気が完治したのですから、これからは、一人の人間として一般社会でなんの罪の意識も感じることなく生きていく権利があります。」というのにも抵抗を感じてしまいます。

※これらは非常にキリスト教的なヒューマニズムの発想から来ていると思いますが、私はこれが唯一の解決方法であるとは思っていません。




そう言えば私は、ビリーズブートキャンプの初めのDVDを10分間やっただけで挫折してしまった軟弱モノです・・・・。
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