軍属記録実物・業者の証言
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/04/24 01:13 投稿番号: [15236 / 17759]
先程の記録の写真
↓
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k285.html
>>憲兵も共犯です。
>>【憲兵が直接かかわっています】けど??
>なんか堂々巡りですが、だからその立証には業者の証言が必要と言ってるんですけど。
【軍の命令で】↓
★女性たちが、朝鮮から連れてこられたことは言葉でわかったという。
髪はボサボサで化粧もしておらず、憔悴しきった様子に見え、絶えず泣いていたとSさんは、当時を振り返る。あまり容貌のきれいな人はおらず、年齢も二十歳代後半から三十歳ぐらいに見えたという。
もっともこの時、Sさん自身がまだ非常に若く、絶望と憔悴の淵にある女性たちの面差しが年齢より老け込んで見えたのかもしれない。また、朝鮮半島から連れてこられていたら、監禁同然の状態を何日も過ごし、身仕舞を整えることもできなかったはずだ。
当時、Sさんは三等給仕の職務にあり、閉じ込められた女性たちの部屋の係りを受持ち、寝具や食事の手配を行なった。体の具合が悪くなったりした者がいれば、上司に報告し、船内の医務室に連れていくこともあったという。
ただ女性たちに話しかけることは、堅く禁じられていた。
【朝鮮語の会話の内容は聞き取れなかったが、女性たちは絶えず泣いていた。 】
軍隊という巨大な機構は、兵隊の嗜好品を積み込む意識のまま、生身の女たちを船倉に押し込んだ。
傍目から見ても女性たちの様子が可哀相だから、
【Sさんは女衒とみられる見張りの男性に】思い切って、
「泣きよるやないか。どうしたんか。あんたたちは、どうしてこんなことをするのか。」
と問い質してみた。
その男は、いきり立つでもなく思いの外、落ち着いた口調で答えたそうだ。
「おいたちも好んでじゃない…やりとおない。
しかし、【軍の命令で、何日までに女を何人連れてきて船に乗せろと言われる。もし、その命令をきかんやったら、おいたちが憲兵にやられる。おいたちも命がけだ。】」
聞き取りの途中、
私は思わず、もし業者の男が憲兵の命令に背けば、監獄に入れられることになるのかと問いかけた。
Sさんは、クックックッと呆れたような笑い声を洩らし、かすれた声で言下に言ってのけた。
「憲兵なんて、そんな生易しいもんじゃない。すごい権力を持っていたんだから。【警察でも震え上がるくらいのもんだった。】今のひとたちには、わからんやろう。」
Sさんは、三池丸と共に陸軍軍属として徴傭され、幾多の戦地に兵士を輸送し、また自身も一九四三年には召集され、陸軍開部隊に入隊、泥沼の中国戦線に送り込まれた経験をもつ。
軍隊という機構の凄絶なまでの暴力性、システマティックな残忍さはいやというほど、知悉している。女衒の男の言い分は、おそらく文字通りのことであったろう。
・・ 朝鮮で集められた女性たちが、釜山から船に乗せられ、下関に着き、門司で陸軍御用船に押し込められた…そのような経緯が推測される。
『陸軍徴傭船舶行動調書』(厚生省援護局一九六一年十二月一日)によれば、Sさんが三池丸に乗船している期間に、この船は昭南へ向け、連続して三度運航している。
最初は、一九四二年三月十七日宇品を出港後、高雄、香港、西貢を経て四月十二日昭南へ入港している。二度目は、昭南から高雄を通って宇品へ四月二十九日帰還後、すぐ四月三十日門司を出港し、高雄、西貢経由で再び六月十八日昭南港へ入港している。三回目は、また宇品へ七月九日戻った後、門司を通って今度は釜山に七月十七日から十九日にかけ寄港後、再度、宇品へ引き帰し、七月二十一日門司を出港、同じく高雄、西貢経由で八月十五日昭南へ到着した。
Sさんの記憶に間違いがなければ、このうちの二回の航海で朝鮮人の女性たちが連行されたことになる。 ・・
http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-48/hirao.htm
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k285.html
>>憲兵も共犯です。
>>【憲兵が直接かかわっています】けど??
>なんか堂々巡りですが、だからその立証には業者の証言が必要と言ってるんですけど。
【軍の命令で】↓
★女性たちが、朝鮮から連れてこられたことは言葉でわかったという。
髪はボサボサで化粧もしておらず、憔悴しきった様子に見え、絶えず泣いていたとSさんは、当時を振り返る。あまり容貌のきれいな人はおらず、年齢も二十歳代後半から三十歳ぐらいに見えたという。
もっともこの時、Sさん自身がまだ非常に若く、絶望と憔悴の淵にある女性たちの面差しが年齢より老け込んで見えたのかもしれない。また、朝鮮半島から連れてこられていたら、監禁同然の状態を何日も過ごし、身仕舞を整えることもできなかったはずだ。
当時、Sさんは三等給仕の職務にあり、閉じ込められた女性たちの部屋の係りを受持ち、寝具や食事の手配を行なった。体の具合が悪くなったりした者がいれば、上司に報告し、船内の医務室に連れていくこともあったという。
ただ女性たちに話しかけることは、堅く禁じられていた。
【朝鮮語の会話の内容は聞き取れなかったが、女性たちは絶えず泣いていた。 】
軍隊という巨大な機構は、兵隊の嗜好品を積み込む意識のまま、生身の女たちを船倉に押し込んだ。
傍目から見ても女性たちの様子が可哀相だから、
【Sさんは女衒とみられる見張りの男性に】思い切って、
「泣きよるやないか。どうしたんか。あんたたちは、どうしてこんなことをするのか。」
と問い質してみた。
その男は、いきり立つでもなく思いの外、落ち着いた口調で答えたそうだ。
「おいたちも好んでじゃない…やりとおない。
しかし、【軍の命令で、何日までに女を何人連れてきて船に乗せろと言われる。もし、その命令をきかんやったら、おいたちが憲兵にやられる。おいたちも命がけだ。】」
聞き取りの途中、
私は思わず、もし業者の男が憲兵の命令に背けば、監獄に入れられることになるのかと問いかけた。
Sさんは、クックックッと呆れたような笑い声を洩らし、かすれた声で言下に言ってのけた。
「憲兵なんて、そんな生易しいもんじゃない。すごい権力を持っていたんだから。【警察でも震え上がるくらいのもんだった。】今のひとたちには、わからんやろう。」
Sさんは、三池丸と共に陸軍軍属として徴傭され、幾多の戦地に兵士を輸送し、また自身も一九四三年には召集され、陸軍開部隊に入隊、泥沼の中国戦線に送り込まれた経験をもつ。
軍隊という機構の凄絶なまでの暴力性、システマティックな残忍さはいやというほど、知悉している。女衒の男の言い分は、おそらく文字通りのことであったろう。
・・ 朝鮮で集められた女性たちが、釜山から船に乗せられ、下関に着き、門司で陸軍御用船に押し込められた…そのような経緯が推測される。
『陸軍徴傭船舶行動調書』(厚生省援護局一九六一年十二月一日)によれば、Sさんが三池丸に乗船している期間に、この船は昭南へ向け、連続して三度運航している。
最初は、一九四二年三月十七日宇品を出港後、高雄、香港、西貢を経て四月十二日昭南へ入港している。二度目は、昭南から高雄を通って宇品へ四月二十九日帰還後、すぐ四月三十日門司を出港し、高雄、西貢経由で再び六月十八日昭南港へ入港している。三回目は、また宇品へ七月九日戻った後、門司を通って今度は釜山に七月十七日から十九日にかけ寄港後、再度、宇品へ引き帰し、七月二十一日門司を出港、同じく高雄、西貢経由で八月十五日昭南へ到着した。
Sさんの記憶に間違いがなければ、このうちの二回の航海で朝鮮人の女性たちが連行されたことになる。 ・・
http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-48/hirao.htm
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