〈日本軍=性奴隷〉の悲劇 (上) 山崎朋子
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/04/15 00:47 投稿番号: [15187 / 17759]
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/05/directory.html
★〈日本軍=性奴隷〉の悲劇 (上) 山崎朋子
どら・・ここには、日本人・台湾人・朝鮮人慰安婦の証言が掲載されていますが、以下概略。
【日本人慰安婦 慶子】これは、【千田夏光さんの「従軍慰安婦」】からの引用です。
貧しい慶子さんは遊郭にいたのだが、
ある日、経営者の一言・・
【日本より満州・シナなどの方が景気が良い、お前達は行かんのか。
・・第一線の兵隊さんを慰めるのは、お前達のできるたった一つの忠義じゃなかね。
天皇陛下の御為に身を捧げる兵隊さんたちを慰める事ができるのは大和撫子に出来る最大の忠義じゃなかね】
これで彼女は従軍慰安婦に応募して・・6000キロも旅をさせられ、最後にはビルマで、
インパール作戦による主要部隊の全滅を知る事となる。
兵士の全滅に伴って【日本人慰安婦16名、朝鮮人慰安婦61名も玉砕(戦死)】したと聞く。
その時の事を慶子さんは
【どうして玉砕する前に彼女達を逃がさなかったのか、うちらは兵隊じゃない、それとも「軍需物資」は最後まで手元に置いてギリギリまで「使用」するつもりなんね】と。
【台湾女性の場合】
43年に日本人のタキさんともう一人のおばさんが訪ねてきて
【高い賃金の仕事・・南洋の戦地へいって負傷した兵隊さんの看護をする事】があると誘ってきた。・・
集められた若い女性達は16名、日本語も出来る人、できない人が居たが、
出来ない人が【文字が読めないが、看護婦になれるか】と聞くと
【大丈夫、文字が分からなくても炊事は出来るでしょ・・】と・・
それで【連れて行ってください】となるが、この16名が連れられた所は
【松の屋という看板と共に兵隊慰安所】と書かれていた。
文字を読める娘達は泣き叫んで彼らや【軍人に抗議】したが、返答はなかった。
【朝鮮女性の場合】
南部の農村で地主の娘であったが、
太平洋戦争に突入すると、朝鮮の伝統的な銅製の食器まで全て供出させられるのだ。
しかし彼女の父は、邸にあった食器を全て穴を掘って隠す。
警察はそれをかぎつけて、父を逮捕・留置し、
一家は釈放してもらおうと警察へ何度も足を運ぶが取り合ってくれない。
すると、朝鮮総督府と民衆の中間的立場にある区長が
【日本の千人針工場へ行ってあなたが働けば、父親は釈放される事間違いなし】と言う。
母親の大反対を押し切って、区長の案内で下関行きの船に乗船し・・
倉庫のような所に入れられた。
そこには、大勢の朝鮮少女がいて、聞くと【12歳】と言う子供もいた。
そして又船に乗り・・少女達は次々下ろされ、彼女はスマランに下ろされ、すぐ【検査】
され、間髪をいれず強姦されたと言う。
朝7時から夜8時まで軍人がやってきて、余りの痛みに気絶することもあり、軍医に注射を打たれた。
土日には注射を5本も打った、こん睡状態で相手をした、それはアヘンだった】・・
日本は敗北したが、そのときスマランの日本軍内では・・
大日本帝国の軍隊が慰安婦を連れていたと連合国に知れると不名誉だから、
慰安婦全員を防空壕に入れて埋め、痕跡を無くすという計画があると、日本人兵士が朝鮮人兵士に伝えたので、
朝鮮人兵士が連合国に伝え、虐殺を免れたという。
かろうじて朝鮮に帰ってみると、父は獄中で死亡し、母は、娘の従軍慰安婦という拉致に絶望して自殺していた。
★〈日本軍=性奴隷〉の悲劇 (上) 山崎朋子
どら・・ここには、日本人・台湾人・朝鮮人慰安婦の証言が掲載されていますが、以下概略。
【日本人慰安婦 慶子】これは、【千田夏光さんの「従軍慰安婦」】からの引用です。
貧しい慶子さんは遊郭にいたのだが、
ある日、経営者の一言・・
【日本より満州・シナなどの方が景気が良い、お前達は行かんのか。
・・第一線の兵隊さんを慰めるのは、お前達のできるたった一つの忠義じゃなかね。
天皇陛下の御為に身を捧げる兵隊さんたちを慰める事ができるのは大和撫子に出来る最大の忠義じゃなかね】
これで彼女は従軍慰安婦に応募して・・6000キロも旅をさせられ、最後にはビルマで、
インパール作戦による主要部隊の全滅を知る事となる。
兵士の全滅に伴って【日本人慰安婦16名、朝鮮人慰安婦61名も玉砕(戦死)】したと聞く。
その時の事を慶子さんは
【どうして玉砕する前に彼女達を逃がさなかったのか、うちらは兵隊じゃない、それとも「軍需物資」は最後まで手元に置いてギリギリまで「使用」するつもりなんね】と。
【台湾女性の場合】
43年に日本人のタキさんともう一人のおばさんが訪ねてきて
【高い賃金の仕事・・南洋の戦地へいって負傷した兵隊さんの看護をする事】があると誘ってきた。・・
集められた若い女性達は16名、日本語も出来る人、できない人が居たが、
出来ない人が【文字が読めないが、看護婦になれるか】と聞くと
【大丈夫、文字が分からなくても炊事は出来るでしょ・・】と・・
それで【連れて行ってください】となるが、この16名が連れられた所は
【松の屋という看板と共に兵隊慰安所】と書かれていた。
文字を読める娘達は泣き叫んで彼らや【軍人に抗議】したが、返答はなかった。
【朝鮮女性の場合】
南部の農村で地主の娘であったが、
太平洋戦争に突入すると、朝鮮の伝統的な銅製の食器まで全て供出させられるのだ。
しかし彼女の父は、邸にあった食器を全て穴を掘って隠す。
警察はそれをかぎつけて、父を逮捕・留置し、
一家は釈放してもらおうと警察へ何度も足を運ぶが取り合ってくれない。
すると、朝鮮総督府と民衆の中間的立場にある区長が
【日本の千人針工場へ行ってあなたが働けば、父親は釈放される事間違いなし】と言う。
母親の大反対を押し切って、区長の案内で下関行きの船に乗船し・・
倉庫のような所に入れられた。
そこには、大勢の朝鮮少女がいて、聞くと【12歳】と言う子供もいた。
そして又船に乗り・・少女達は次々下ろされ、彼女はスマランに下ろされ、すぐ【検査】
され、間髪をいれず強姦されたと言う。
朝7時から夜8時まで軍人がやってきて、余りの痛みに気絶することもあり、軍医に注射を打たれた。
土日には注射を5本も打った、こん睡状態で相手をした、それはアヘンだった】・・
日本は敗北したが、そのときスマランの日本軍内では・・
大日本帝国の軍隊が慰安婦を連れていたと連合国に知れると不名誉だから、
慰安婦全員を防空壕に入れて埋め、痕跡を無くすという計画があると、日本人兵士が朝鮮人兵士に伝えたので、
朝鮮人兵士が連合国に伝え、虐殺を免れたという。
かろうじて朝鮮に帰ってみると、父は獄中で死亡し、母は、娘の従軍慰安婦という拉致に絶望して自殺していた。
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