“平和ボケ”のお部屋

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Re: 秋の日のヴィオロンの

投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2005/11/11 03:02 投稿番号: [13065 / 17759]
> 1942年夏から1943年初めまでの、東部戦線南方方面の戦いとスターリングラ
> ード攻防戦は、確かに大きな転回点であり、ドイツ軍は大損害を出して敗れ
> た。
> しかし、ここからドイツ軍が一方的に総崩れになった訳ではない。
> この後ドイツ軍は、スターリングラードの勝利の余勢に乗って進撃したソ連
> 軍に対し、ハリコフ方面で猛反撃を加え返り討ちにした。
> さらにドイツ軍は、1943年春の雪解け・泥濘期の間に再び戦力を盛り返し、
> 1943年夏のクルスク方面で大攻勢作戦を行った。
> ドイツ軍が一方的に総崩れになったのは、このクルスクの敗戦の後だった。

さすがに詳しいですね。クルクス方面での戦いに敗れた後は、ドイツは一時的
に攻勢に転ずることさえ困難になってしまったのですね。



> 何で、ドイツにとって大した急所でもない地中海作戦を優先して、より致命
> 的な北フランス上陸を延期したのか。
>
> それは、なるべく米英の出血を少なくしソ連の出血を多くするため、だった。
> この米英の目論見は一応達成されたが、米英が悠長に構えている間に、ソ連
> はドイツを大きく押し返し東欧を攻略する時間的余裕を得た。
> 米英がソ連に東欧を取らせたくなければ、自らの出血の増加を覚悟した上で、
> もっと早くに北フランスあるいはバルカンに上陸していればよかった。

この辺のことが確認できれば、私としても安心です。自分の認識が大きくずれ
ていたわけではないと思われますので。

米英は、ソ連にたくさん“出血”させようとし過ぎたのですね。あるいは、ソ
連の力を見くびっていたのかもしれませんね。多分、ソ連がドイツを国境線の
外に叩き出し、ポーランドへ侵攻するのを見るに及んで、かなり慌てたのでは
ないでしょうか?

米英の首脳は、ノルマンディー上陸が44年6月だったのは、遅きに失したと、
後から振り返って思ったのではないでしょうか?

ソ連軍がドイツ軍の残存部隊を叩き潰すためにポーランドに侵攻する直前、た
しかワルシャワでは有名な惨劇がありましたね。ソ連による「解放」を好まな
い人たちが、ドイツ軍に対して一斉蜂起し、武力で圧倒的に差のあるドイツ軍
に徹底的に叩きのめされて、多くの人が惨殺されました。

この後、悪名高いスターリンのソ連軍の「解放」のオマケ付きだから、ポーラ
ンドは踏んだり蹴ったりでした。「灰とダイアモンド」とか「地下水道」とか
いったような暗い映画があった。戦略ゲームをやっている米英にとっては織り
込み済みのことなのかもしれませんが…。
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