>≫≫≫≫フランス人権宣言
投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2005/07/28 21:39 投稿番号: [11108 / 17759]
> いつ主権が国王に移ったの?
>
> 国民が、有する主権を国王に譲るか、
> 国王が、革命による国民の主権を否定しなければ、
> 国王が主権を有する事はできないが?
>
>
> シャルト(憲章)は、誰との約束なの?
>
> 王権神授説に基づくなら、
> 神と約束はしても、国民と約束する必要はないはずだが?
1789年のフランス革命以後、主権は一貫して、フランス国民にあったか否かと
いうのが、問題だとするなら、答えは「否」だと思う。
つまり、主権が国民になかったと思われる時期を指定すればいいよね。
私は、ルイ18世とシャルル10世の在位期を挙げました。シャルトは、最上位に
位置する法であり、しかも、議会や国民の意志に基づくものではない。1814年
6月4日のルイ18世のシャルト発布で、1814年4月6日のフランス憲法が否定され
ています。
http://www.hou-bun.co.jp/Mokuroku/mokuji/02623-6.html
王権は神聖で不可侵なものとされ、行政権や法律の発議権、外国との条約締結
権など、すべて王の権限とされました。主権在民とはとても言えないですね。
1830年の7月蜂起は、実権が王にあったからこそ起きたのであり、人民が再び
権力を奪い返そうとしたのでしょう?
ワーテルローでナポレオンが敗北したとき、フランス全土を激しい白色テロの
嵐が吹き荒れていますから、このとき、革命主体たるフランス国民は、主権者
の座から滑り落ちたのだと解します。
7月王政で即位したルイ・フィリップは、王権神授説および教権を否定しまし
た。即位式も教会で行なったり大司教を呼んだりするわけではなく、下院のあ
るブルボン宮で、改正シャルト(憲章)を遵守するという宣言を議員たちの前
で読み上げるだけの簡素なものでした。これは、国民の主権をある程度認めた、
立憲君主制に近いものではないでしょうか?
1848年の2月革命のとき、共和政を謳った臨時政府は憲法制定国民議会の選挙
を民衆に約束しているのは、とっくの昔に憲法が否定され、存在しなかったか
らでしょう。
共和政が、しっかりとフランスに根付くのは、1871年のパリ・コミューンを経
て、1875年1月に、ヴァロン修正案が可決され、第三共和政憲法が成立してか
ら以後でしょう。フランス革命から実に百年もかかっている。
なお、この後の、第二次世界大戦のナチスドイツ占領下の傀儡政権、ヴィシー
政権は例外であり、フランス国民に主権はありませんでした。ヴィシー政権は、
共和政を全否定し、大統領職や議会を廃止しました。
シラク政権誕生までの通史に目を通しましたが、フランス革命以後の転変する
フランスの政治体制が、それぞれ法制的にどのようなものであったかというこ
とについて調べるとなると、もはや教養書のレベルではありませんので、専門
書を開かなければなりません。調べましたところ、日本語の文献で、フランス
の憲法の変遷に触れたものがあるようです。
専門書は、教養書・啓蒙書と比較して、お値段が張りますので、気軽に手に入
れるわけにはいきません。図書館まで行って調べなければなりませんね。そこ
までやらないといけないですかね?
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> 国民が、有する主権を国王に譲るか、
> 国王が、革命による国民の主権を否定しなければ、
> 国王が主権を有する事はできないが?
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> シャルト(憲章)は、誰との約束なの?
>
> 王権神授説に基づくなら、
> 神と約束はしても、国民と約束する必要はないはずだが?
1789年のフランス革命以後、主権は一貫して、フランス国民にあったか否かと
いうのが、問題だとするなら、答えは「否」だと思う。
つまり、主権が国民になかったと思われる時期を指定すればいいよね。
私は、ルイ18世とシャルル10世の在位期を挙げました。シャルトは、最上位に
位置する法であり、しかも、議会や国民の意志に基づくものではない。1814年
6月4日のルイ18世のシャルト発布で、1814年4月6日のフランス憲法が否定され
ています。
http://www.hou-bun.co.jp/Mokuroku/mokuji/02623-6.html
王権は神聖で不可侵なものとされ、行政権や法律の発議権、外国との条約締結
権など、すべて王の権限とされました。主権在民とはとても言えないですね。
1830年の7月蜂起は、実権が王にあったからこそ起きたのであり、人民が再び
権力を奪い返そうとしたのでしょう?
ワーテルローでナポレオンが敗北したとき、フランス全土を激しい白色テロの
嵐が吹き荒れていますから、このとき、革命主体たるフランス国民は、主権者
の座から滑り落ちたのだと解します。
7月王政で即位したルイ・フィリップは、王権神授説および教権を否定しまし
た。即位式も教会で行なったり大司教を呼んだりするわけではなく、下院のあ
るブルボン宮で、改正シャルト(憲章)を遵守するという宣言を議員たちの前
で読み上げるだけの簡素なものでした。これは、国民の主権をある程度認めた、
立憲君主制に近いものではないでしょうか?
1848年の2月革命のとき、共和政を謳った臨時政府は憲法制定国民議会の選挙
を民衆に約束しているのは、とっくの昔に憲法が否定され、存在しなかったか
らでしょう。
共和政が、しっかりとフランスに根付くのは、1871年のパリ・コミューンを経
て、1875年1月に、ヴァロン修正案が可決され、第三共和政憲法が成立してか
ら以後でしょう。フランス革命から実に百年もかかっている。
なお、この後の、第二次世界大戦のナチスドイツ占領下の傀儡政権、ヴィシー
政権は例外であり、フランス国民に主権はありませんでした。ヴィシー政権は、
共和政を全否定し、大統領職や議会を廃止しました。
シラク政権誕生までの通史に目を通しましたが、フランス革命以後の転変する
フランスの政治体制が、それぞれ法制的にどのようなものであったかというこ
とについて調べるとなると、もはや教養書のレベルではありませんので、専門
書を開かなければなりません。調べましたところ、日本語の文献で、フランス
の憲法の変遷に触れたものがあるようです。
専門書は、教養書・啓蒙書と比較して、お値段が張りますので、気軽に手に入
れるわけにはいきません。図書館まで行って調べなければなりませんね。そこ
までやらないといけないですかね?
これは メッセージ 11070 (T_Ohtaguro さん)への返信です.
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