To everyone
投稿者: asutoro_jza80 投稿日時: 2003/05/23 11:42 投稿番号: [1054 / 17759]
博愛を持ち出すのは全然愚昧ではないです。
本来、平和を考えるに当たって論理はむしろ不要なんですよ。
私だって一人でも生きていけるなんて「感じては」いません。
しかし、我々の子孫のために、
「一人で生きる」という選択肢を視野に入れる必要がある、とは思っています。
現代人はそれをイメージできない・・・。
それが何よりも問題なのです。
そういう選択肢もあるということを認識できない限り、
私は現代人の中に博愛があるとは到底思えないのです。
米国を始めとする「民主主義が正義である」という幻想は
極近視的なビジョンの上にしか成立しない、ということを何よりも言いたい。
確かに、最大多数の最大幸福を実現する上では民主主義は完成されたシステムです。
しかし、その民主主義は、飽くまで「現在この瞬間」のための民主主義でしかない。
至極平面的な最大多数の最大幸福なんですよ。
この平面に時間軸をプラスして、
これから生まれてくるであろう次世代人の民意を反映しなければならない、
とは思いませんか?
私はこれを考えるにつけ、「一人で生きていく」可能性を模索しなければならないと思っています。
これは非常に痛い話なのですが、
地球に残されたエネルギーは残りわずかなのですよ。
わずか100年余りで人間の文明は地球資源の大半を食い尽くしたという事実。
現在進行形で文明は更に育とうとしている。
我々はそれに甘んじて「自由」を謳歌しているのです。
こんなものの何が自由だというのか・・・。
我々の子供たちの自由を前借りして自由を享受しているに過ぎない。
その先にある光景は、平和とはほど遠い地獄絵図だ。
経済活動なんて夢のまた夢・・・。
宇宙に移住できれば問題ないと思うかもしれません。
しかし、相対性理論が正しいと仮定すれば、
地球環境に等しい惑星に人類が辿り着く可能性はほぼゼロです。
100歩譲って仮に見つかったとしても、そんな惑星には先住民が居ることでしょう。
その時は我々の自由のために戦争しますか?
これは メッセージ 1053 (light_cavalryman さん)への返信です.
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