こういうのもあるよ
投稿者: kotori730 投稿日時: 2003/05/22 16:25 投稿番号: [1051 / 17759]
ハーバードの“Managing across Cultures"のおまけの授業のお話。
50問を越える個人の価値観に関する質問(質問の例として、たとえば「あなたは友人が運転する自動車に同乗していたが、友人が不注意から人をはねてしまい軽症を負わせた。あなたが唯一の証人であり、あなたの証言によって友人の運命が変わる。あなたは友人を有利な立場に置くために偽証をするか否か?」とか「あなたは医者で、友人が保険の申請のためにあなたに健康診断を願い出た。あなたが診断した結果友人はほとんど健康体だが、一点健康とも不健康ともどちらにでもとれる診断箇所があった。あなたは彼に有利な診断結果を書くか否か?」etc)によって得たおのおのの文化的プロフィールをTHTという会社のカルチュラル・コンバスというプログラムを通じて 自分がある国の文化に適応しようと仮定した場合の方法論をレポートする内容で 国籍による類似性はあるみたいです。もちろん それぞれの価値観や環境による個人差もあるんですけど。
たとえば
Universalism(普遍的なルールを大事にする傾向)、Particularism(その時の状況によってルールの解釈を個別的に行う傾向)
米は前者、日、仏は後者、
Communitariannism(団体志向)、Individualism(個人主義)
日,仏は前者、米は後者。
Diffuse(拡散的包括的),Specific(特化的)
日、仏は前者、米は後者。
Affective(情緒的),Nevtral(非情緒的)
米、仏は前者、日は後者。
External(人の運命は外的要因によって左右される傾向),Internal(その人の能力,努力しだいの内的要因が大きいとする傾向)
日は前者、米,仏は後者。
Time orientation(現在、過去、未来のどこに重きを置くか)
日、米は現在から未来、仏は過去。
ドイツはすべての指標で中間の位置。
なぜ 日,米、仏なのかと言えば この授業を受けた友人がフランスの文化との適応を考えていたからで 分類に関してはもうちょっと複雑だったりするんですけど 私が長文のタイピングが苦手なのでまとめてしまいました。
個人の価値観や環境による違いはあるとしても国籍による類似性という物を認めるならば それは育つ過程においてインプットされたものなのか それとも 生まれ持った民族性によるものなのでしょうか?
共通項を求め合いわかるからなお嫌な部分を憎んだり かと思えば 相違点に反発したり惹かれたり・・・・・・。
私は個人として生きていきたいかと言われればきっと何処かには所属(?)してしまうんだろうなって思うけど これは今までの人生において得た教訓なのか 日本人としての資質なのか・・・・・。
50問を越える個人の価値観に関する質問(質問の例として、たとえば「あなたは友人が運転する自動車に同乗していたが、友人が不注意から人をはねてしまい軽症を負わせた。あなたが唯一の証人であり、あなたの証言によって友人の運命が変わる。あなたは友人を有利な立場に置くために偽証をするか否か?」とか「あなたは医者で、友人が保険の申請のためにあなたに健康診断を願い出た。あなたが診断した結果友人はほとんど健康体だが、一点健康とも不健康ともどちらにでもとれる診断箇所があった。あなたは彼に有利な診断結果を書くか否か?」etc)によって得たおのおのの文化的プロフィールをTHTという会社のカルチュラル・コンバスというプログラムを通じて 自分がある国の文化に適応しようと仮定した場合の方法論をレポートする内容で 国籍による類似性はあるみたいです。もちろん それぞれの価値観や環境による個人差もあるんですけど。
たとえば
Universalism(普遍的なルールを大事にする傾向)、Particularism(その時の状況によってルールの解釈を個別的に行う傾向)
米は前者、日、仏は後者、
Communitariannism(団体志向)、Individualism(個人主義)
日,仏は前者、米は後者。
Diffuse(拡散的包括的),Specific(特化的)
日、仏は前者、米は後者。
Affective(情緒的),Nevtral(非情緒的)
米、仏は前者、日は後者。
External(人の運命は外的要因によって左右される傾向),Internal(その人の能力,努力しだいの内的要因が大きいとする傾向)
日は前者、米,仏は後者。
Time orientation(現在、過去、未来のどこに重きを置くか)
日、米は現在から未来、仏は過去。
ドイツはすべての指標で中間の位置。
なぜ 日,米、仏なのかと言えば この授業を受けた友人がフランスの文化との適応を考えていたからで 分類に関してはもうちょっと複雑だったりするんですけど 私が長文のタイピングが苦手なのでまとめてしまいました。
個人の価値観や環境による違いはあるとしても国籍による類似性という物を認めるならば それは育つ過程においてインプットされたものなのか それとも 生まれ持った民族性によるものなのでしょうか?
共通項を求め合いわかるからなお嫌な部分を憎んだり かと思えば 相違点に反発したり惹かれたり・・・・・・。
私は個人として生きていきたいかと言われればきっと何処かには所属(?)してしまうんだろうなって思うけど これは今までの人生において得た教訓なのか 日本人としての資質なのか・・・・・。
これは メッセージ 1050 (asutoro_jza80 さん)への返信です.
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