聖徳太子がパクった
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2003/11/28 10:42 投稿番号: [746 / 9338]
キツツキさんの了解と比呂君の裁可を得ましたので続けさせてもらいます。
ベトナムへのレスへは対応しますのでご心配なく。
早速ですが、前レスでもお聞きしたように聖徳太子は隋政権に送った正式な国書の中で、自らを日本の国王『天子』としていますが、ご存知のようにそれは事実と違います。では彼はなぜそう僭称したのか、又しなければならなかったのでしょう?
推古天皇は女帝ですが卑弥呼の例もあるので中原王朝ににとって問題ではないですね。
聖徳太子は自分を偉くみせる必要があったのだろうか。後世元祖パクリの汚名を着るかも知れないのに。
真に不思議ですがここにぼくのテーマがあります。
モックスさんは、群雄割拠していた西日本で、ある時は倭奴国が栄え、あるときは邪馬台国が盛衰し、それを統一したのがヤマト朝廷だというご意見ですね。
まあ、そうでしょうね。
そして残された資料から、古くは後漢から金印を授与された倭奴国も、陳寿の描く邪馬台国も、朝鮮併合を望んだ倭の5王も、その後の大和政権とはほとんど関係がないということが浮かび上がります。
第一には、国の正史たる記紀に一切その関係の記述がないことです。
国家として何よりも時の王権の正当性、もしくは継続性を訴えるものですが、大和側の資料には、倭人を代表する大国を併合したことも継承した記述も一切ありません。
ただわずかに書記の神巧皇后紀の年代を卑弥呼に比定(比べて定める)して、その正当後継者であることを装っているだけです。
ここは国ぐるみでパクっているのです。
もし「日出処」と書をしたためた「天子」が、倭国または日本国を名乗る聖徳太子とは別の国の国王だとすると、聖徳太子僭称の疑問は氷解するのです。
もちろんこの書が隋になされたことさえ聖徳太子は知らなかったかもしれない。
でも彼本人がパクったとはいえなくてもその後継者達が他国の華々しい対中国外交史をパクったことになりますね。
つまりぼくのテーマ、日本人はDNAがらみのパクリ民族だという証明になるわけです。
こういう解釈でよければ、ぼくも論文にしてイカちゃんにみてもらいます。
よろしくご評価願います。
これは メッセージ 725 (moccusboccus さん)への返信です.
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