その2
投稿者: rie2377 投稿日時: 2011/09/23 06:34 投稿番号: [6060 / 6355]
これに呼応して、天下に名の知れた武将達が続々
大阪城に入る、後藤又兵衛、長宗我部盛親
塙団右衛門
幸村もそんな一人であった、雌伏十五年
思えば長く辛い年月であった
幸村は瞑想に耽る
秀頼様の大恩、如何にして報いん
我、凡庸にして思い及ばず
大阪城に入った幸村は知略を尽くして策を献上する
しかし秀頼側近の重臣達は聞き入れず、用いられる
事は滅多になかった
幸村の才能をよく理解していたのは家康であった
冬の陣では、神出鬼没の真田軍に幾度も煮え湯を
飲まされ、家臣に愚痴をこぼす事が多かった
その方ら、何故真田のような働きが出来ぬ
この為、幾度も使者を立て与力を促している
それも城持ち大名として処するという破格の
条件だった
勿論、幸村は言下に拒絶する
私はそんな物の為に戦っているのではない
但し、家康公の御厚意にはお礼申し上げる
何時の世でも、己を知る者には最大の敬意を
払うのが常であり、幸村も同様であった
家康が、秀吉恩顧の武将達を取り込んで行ったのは
この心理を巧みに利用したからかも知れない
さて大阪冬の陣は和睦の結末となった、しかし
これには大きな罠が仕掛けられていた
和睦の条件である外堀の埋め立てだけではなく
内掘まで埋められ、大阪城は裸城にさてれしまった
のである
難攻不落と詠われた大阪城も、もはや風前の灯火
慶長二十年五月、再び家康が十五万の大軍を擁して
大阪城に姿を見せた、迎え撃つ豊臣方は五万
幸村は決断する、
もはや奇襲しかない
朝靄の煙る五月七日早朝、大阪城を取り囲む
徳川軍の真っ只中を、六文銭の旗をなびかせ
怒涛の如く駆け抜ける騎馬軍団があった
目指すは、家康の首! 押出せー!
死を覚悟の幸村の突撃である、本陣を固める旗本を
蹴散らし家康は目前であった
家康公、真田幸村 これに見参!
御覚悟!
しかし、家康を討ち取ることは出来なかった
体制を立て直した家康軍は騎馬に矢を射かけ
鉄砲を放ち、さしもの真田騎馬軍団も壊滅の
憂き目を見たのである
稀代の名将、真田幸村も首を打たれ四十八年の
生涯に幕を閉じた
幸村に遅れる事一日、秀頼親子も自害して果て
ここに豊臣家は終焉を迎えた
後に幸村の死を聞いた兄の信幸は
幸村こそ当代一の名将であった
兄として同じ武将として誇りに思う
そう述べている
信幸が祖となった信州松代藩では、幕末になるまで
代々守られて来た宝物(ほうもつ)があった
寝ずの番を置いて幕府の目から守って来た物は
信幸と幸村が交わした幾通かの書状であった
幸村こそ真の武将である、幸村が事
夢々忘れまじ
そんな信幸の、気持ちの表れであった
江戸の世になり幸村は逆賊として扱われ、講談
歌舞伎など幸村の活躍を描くものは厳しい処罰を
受けた
しかし名を変え時代設定を変え、幸村の生涯は
演じら語り継がれてきた
江戸の庶民はそんな芝居を見ると、大喝采を
送ったそうである
義を重んじ小よく大を制す、そんな幸村の生き様に
人々は共感を持ったのかも知れない
大阪城に入る、後藤又兵衛、長宗我部盛親
塙団右衛門
幸村もそんな一人であった、雌伏十五年
思えば長く辛い年月であった
幸村は瞑想に耽る
秀頼様の大恩、如何にして報いん
我、凡庸にして思い及ばず
大阪城に入った幸村は知略を尽くして策を献上する
しかし秀頼側近の重臣達は聞き入れず、用いられる
事は滅多になかった
幸村の才能をよく理解していたのは家康であった
冬の陣では、神出鬼没の真田軍に幾度も煮え湯を
飲まされ、家臣に愚痴をこぼす事が多かった
その方ら、何故真田のような働きが出来ぬ
この為、幾度も使者を立て与力を促している
それも城持ち大名として処するという破格の
条件だった
勿論、幸村は言下に拒絶する
私はそんな物の為に戦っているのではない
但し、家康公の御厚意にはお礼申し上げる
何時の世でも、己を知る者には最大の敬意を
払うのが常であり、幸村も同様であった
家康が、秀吉恩顧の武将達を取り込んで行ったのは
この心理を巧みに利用したからかも知れない
さて大阪冬の陣は和睦の結末となった、しかし
これには大きな罠が仕掛けられていた
和睦の条件である外堀の埋め立てだけではなく
内掘まで埋められ、大阪城は裸城にさてれしまった
のである
難攻不落と詠われた大阪城も、もはや風前の灯火
慶長二十年五月、再び家康が十五万の大軍を擁して
大阪城に姿を見せた、迎え撃つ豊臣方は五万
幸村は決断する、
もはや奇襲しかない
朝靄の煙る五月七日早朝、大阪城を取り囲む
徳川軍の真っ只中を、六文銭の旗をなびかせ
怒涛の如く駆け抜ける騎馬軍団があった
目指すは、家康の首! 押出せー!
死を覚悟の幸村の突撃である、本陣を固める旗本を
蹴散らし家康は目前であった
家康公、真田幸村 これに見参!
御覚悟!
しかし、家康を討ち取ることは出来なかった
体制を立て直した家康軍は騎馬に矢を射かけ
鉄砲を放ち、さしもの真田騎馬軍団も壊滅の
憂き目を見たのである
稀代の名将、真田幸村も首を打たれ四十八年の
生涯に幕を閉じた
幸村に遅れる事一日、秀頼親子も自害して果て
ここに豊臣家は終焉を迎えた
後に幸村の死を聞いた兄の信幸は
幸村こそ当代一の名将であった
兄として同じ武将として誇りに思う
そう述べている
信幸が祖となった信州松代藩では、幕末になるまで
代々守られて来た宝物(ほうもつ)があった
寝ずの番を置いて幕府の目から守って来た物は
信幸と幸村が交わした幾通かの書状であった
幸村こそ真の武将である、幸村が事
夢々忘れまじ
そんな信幸の、気持ちの表れであった
江戸の世になり幸村は逆賊として扱われ、講談
歌舞伎など幸村の活躍を描くものは厳しい処罰を
受けた
しかし名を変え時代設定を変え、幸村の生涯は
演じら語り継がれてきた
江戸の庶民はそんな芝居を見ると、大喝采を
送ったそうである
義を重んじ小よく大を制す、そんな幸村の生き様に
人々は共感を持ったのかも知れない
これは メッセージ 6059 (rie2377 さん)への返信です.