何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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パート2

投稿者: rie2387 投稿日時: 2010/07/10 07:29 投稿番号: [5331 / 6355]
一行が目指したのは、山城から伊賀を抜け
安全な伊勢に向かう最短行程であった

道中忠勝が捕らえて来た村長(むらおさ)を
先頭に立て落ち武者狩りを防ぎ、土豪や
山賊には茶屋四郎が金子を渡して難を逃れる

近江と伊賀の国境いに達した一行は
小川城にて休息を取り行く末を思案する

殿、ようやくにして伊賀で御座る
これより如何なる御思案が

うむ、何としても伊賀衆の与力が必要じゃ
半蔵、そちを周旋役として使わす

ははー!

伊賀の入り口に当る丸柱に、勢力を持って
いたのが土豪宮田氏であった   伊賀出身の
服部半蔵が使者に立ち懸命の説得を続ける

家康公、無事御帰還の暁には
宮田家安堵の上、高禄にて御召し抱え
これあり

更に名馬山川(やまかわ)を御献上の由
是非とも与力願いたい

家康の策は当り、土豪宮田氏は一行を
警護する事になる   、しかしそれは
拓殖(つげ)までであった

拓殖に入ると、宮田氏郎党は丸柱に引き上げ
護衛の居なくなった一行は、再び困難に直面する
四方を敵に囲まれ四面楚歌の状況であった

土地の寺院、徳永寺に立ち寄った家康は
ここで大芝居に打って出る、住職から
差し出された茶を一気に飲み干すと

御住職、馳走になった、礼として門前から
見渡す限りの田地田畑、総て徳永寺に
寄進致す

一杯の茶の礼に、広大な土地を寄進すると
言うのである、明日の身も覚束ない家康が
考え抜いた大芝居であった

しかしこれが予想外の効果をもたらした

土豪の多くが徳永寺の檀家であり、その
徳永寺に寄進を申し出た家康の言葉は
彼等の感情を一変させ、家康護衛の
志願者が続々押しかけ、又も伊賀衆に守られ
一行は最大の難所、加太(かぶと)峠に
向かっていった

当時伊賀には、鉄砲、火薬、妖術など
様々な技能が蓄積され、地侍である
土豪達はこれを会得し強力な
武闘集団を形成していた

所謂(いわゆる)、伊賀忍者である
特に山中での戦いに優れ万一彼等に
襲われたら、助かる見込みは殆ど無かった

一行が加太(かぶと)峠に差し掛かると
待ち構えていた黒装束の一団が
襲い掛かってきた

徳川殿と御見受け致す、我等積年の恨み
忘れ難し

御印(みしるし)頂戴、御覚悟!

家康に組みしない伊賀忍者である、これに
応戦したのもやはり伊賀忍者であった

力量は互角、互いに譲らず死闘は容易に
終わりそうになかった

この隙に一気に峠を駆け下りた一行は
九死に一生を得てようやく安全な
伊勢に辿り着く

殿、伊勢で御座る、もはや御心配には
及びませぬ

それに付けても、よう死地を脱したもの

如何にも!   我が徳川家の武運
益々隆盛なるぞ

喜びに沸く家臣を前に、家康は目頭を押さえて

皆の者、よく耐えてくれた、心より礼を言う  
そち達の働き決して忘れぬ

余は、日の本一の果報者じゃ

殿!   殿!

すすり泣く家臣を家康は、珠玉を手にする
ような眼差しで見るのであった

三河に戻った家康は、力を蓄えやがて将軍と
成った、そしてこの道中で約束した事は
総て守ったのである

吉田氏、徳永寺、服部半蔵に率いられる
伊賀衆御庭番

家康は、この逃避行で共にした家臣を厚遇し
死の直前まで、この時の事を話して
聞かせたそうである
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