伊賀越え
投稿者: rie2387 投稿日時: 2010/07/10 07:23 投稿番号: [5330 / 6355]
今回は家康、決死の逃避行を
長いそうで二回に分けて
伊賀越え
天正十年六月二日、堺見物を終え
京に向かう家康一行に、信長死すの
異変を伝えたのは、徳川家の御用商人
茶屋四郎次郎であった
徳川様、一大事で御座います
明智様御謀反にて信長公
本能寺にて御自害
京は明智勢で溢れております
一刻も早く三河に御帰還を
信長公が自害!
茶屋、それは誠か!
間違い御座いませぬ
謀反人は惟頭(これとう)日向の守とな
まさか、あの御仁が謀反を
本能寺の一部始終を聞かされた家康は
物見遊山の心持ちは一気に醒め
ただ我が身の危うさに、愕然とするばかりで
あった
三河までの帰還には、京を通過するか
伊賀越えをする他はなく、その京では
明智勢が待ち構えており
伊賀越えも
到底成就するとは思えなかった
山中には、本能寺の変を聞きつけた
落ち武者狩りや、土豪達が潜んでおり
何より伊賀全体が敵であった
先年信長の伊賀攻めで、家屋敷を焼き払われ
女子供まで殺された伊賀衆は、信長憎しで
結束していた
最大の同盟者である家康も、当然
怨嗟の的であった
この時共廻りは僅か三十名
家康は暫し
熟考の後(のち)家臣達に告げる
我が命運も、これにて尽きたようじゃ
三河までとても辿り着くまい
みすみす土豪の手に掛かるは
何よりの恥辱
これよりこの場で信長公の御供を致す
誰ぞ、太刀を持て!
追い腹の覚悟を決め、太刀を取ろうとする
家康の前に重臣の一人が進み出る
暫し、待たれよ、それは短慮と言うもの
無事三河に帰り光秀を討つこそ肝要
我等一同、身命を賭して殿を御守り申す
天運あらば、必ずや成就致しましょう
諫言するのは、徳川家臣団の中でも類まれな
猛将として知られた本多忠勝であった
如何にも、本多殿の申されよう
尤も至極
左様、何としても三河へ!
酒井忠次や井伊直政を始め、他の重臣達も
次々に賛同の声を挙げ、一旦死を決意した
家康も僅かな望みに賭けるのである
こうして家康の堺から三河までの
三日間に渡る決死の逃避行が始まった
これは メッセージ 1 (beiowolf119jp さん)への返信です.
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