何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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パート2

投稿者: rie2387 投稿日時: 2010/05/22 07:41 投稿番号: [4889 / 6355]
しかしナポレオンに休む間はなかった

当時フランスは深刻な経済不況に陥っており
インフレが拡大し、物の値段は革命前の
100倍にも達していた

ナポレオンは、昼夜を問わず対策に没頭する
議員達と会議を重ね、次々と手を打っていく

パリ周辺の道路網を整備し、多くの橋を
掛ける大規模な公共事業を行い、インフレを
抑える為新たな1フラン硬貨を発行する

これらの政策は、フランス経済を大きく
改善させた

この時のナポレオンは   睡眠三時間
食事も十分で済ませる程であった

そして画期的な法典、フランス人民法典を
発布する、この法典は別名、ナポレオン法典と
呼ばれている

これには、個人財産の保有が認められていた

共和国の政治に不安を持っていた富裕層は
これを歓迎、ナポレオンの人気は頂点に
達するのである

ついに議会はナポレオンを皇帝に推挙する
この決定は国民投票にかけられ、圧倒的な
差で信任された

ナポレオンは、皇帝ナポレオン一世となる

しかし、異国の地でこれを快く思わぬ
大音楽家がいた、ベートーベンである
民衆の解放者と信じていたナポレオンが
皇帝となった

ベートーベンは激怒する

彼も又、己の野心だけを満たそうとする輩と
なった

ナポレオンを称える筈の、交響曲第三番
ボナパルトは、英雄と改題されナポレオンに
奉じられる事はなかった

皇帝となったナポレオンは、周辺諸国に
進撃を開始、一時は全ヨーロッパを手中に
収めた

しかしロシアとの戦いに疲弊し、最後は
ワーテルローでイギリス軍に惨敗する

皇帝を解任されたナポレオンは、大西洋の
孤島セントへレナに流刑となった

1821年5月5日、稀代の風雲児ナポレオンは
一流刑者として静かに息を引き取った

享年51歳であった

このナポレオンの生涯は、日本の志士達にも
影響を与え、西郷隆盛はナポレオンの
伝記を愛読し吉田松陰は   ナポレオンの如く
自由を唱えよ   そう書き残している

ナポレオン、ボナパルト   コルシカに
生まれ陸軍士官学校を経て、皇帝に
登りつめた天才軍略家

日本で言えば、義経を彷彿させる

ただ義経と違うのは、ナポレオンは
政治的力量にも優れ   民衆の統治にも
長けていた、と言えそうである
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