何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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ナポレオン

投稿者: rie2387 投稿日時: 2010/05/22 07:34 投稿番号: [4888 / 6355]
今回は少し趣向を変えて洋物を
稀代の風雲児、ナポレオン

長いそうで2回に分けて

皇帝ナポレオン

フランス革命から二年、民衆の間に革命の
申し子として圧倒的な人気を誇る
天才軍人がいた   その名はナポレオン
ボナパルト

二十七歳の若さで東方軍総司令官となり
北イタリアに遠征したナポレオンは
オーストリア軍との数度に渡る激戦に
勝利し、勇躍パリに凱旋する

民衆はこの若き英雄を熱狂的に迎えた
共和国万歳の掛け声が至る所で湧き上がり
パリの街を覆い尽す

しかし、その熱気が冷めるのも早かった

当時、フランスの置かれている立場は
微妙な物であった、革命が飛び火するのを
恐れた周辺諸国は、フランスを警戒し
そして敵対した

イギリス、オーストリア、ロシア
何時果てるとも知れぬこれら諸国との戦いに
民衆は不満を抱き始めていた

議会も無力であった、穏健派急進派に
分かれ議論は噛み合わず、派閥争いを
繰り返すのみ

ナポレオンも、何も手の打てない議会に
失望感を抱いていた

もはや猶予は出来ない

ナポレオンは決意する

1799年11月10日、クーデターを決行
議場を急襲し議会を一旦解散させる
そして自らが第一統領となる、新しい
議会を発足させた

民衆もこれを支持し、ナポレオンは
政治の実権を握ったのである、軍事力を
背景に、名実共に共和国の第一人者と
なった

政治に一応の区切りを付けたナポレオンは
二度目のイタリア遠征に打って出る

ここでナポレオンは、オーストリア軍を
背後から襲う作戦を立る
但し、それにはアルプス山脈を横断する
必要があった

これを聞いた参謀達は猛然と反対する

将軍、それは不可能です、重い砲台を
引いてアルプスを越えるのは無理です

恐らく半数以上が犠牲となりましょう

ナポレオンは、毅然と言い放つ

我が辞書に不可能はない、不可能と言う
文字は愚か者の辞書のみ存在する

アルプスを越えたフランス軍は、背後から
オーストリア軍を急襲、壊滅的な打撃を
与えた

それはかって、ローマ帝国を苦しめた
カルタゴの名将ハンニバルの再現であった

この知らせはいち早く、イギリス   ロシアにも
伝わり、フランス軍の力を認めた両国は
和平を提案する

フランスにとって、待望の平和が訪れた
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