Re: パート2
投稿者: rie2376 投稿日時: 2010/04/10 08:01 投稿番号: [4710 / 6355]
この年は厳しい猛暑が続き、諸藩寄せ集めの
幕府軍は疲労と食料不足で戦闘意欲を失い
前線を支えるのは、小倉藩だけという
状況であった
その小倉藩も打撃を受け、小笠原に
援軍を要請する
我が藩のみ矢面(やおもて)に立つは
承服しかねる
然るべく、援軍を送られよ
援軍として、小倉城に入城したのは
熊本藩であった、当時熊本藩は銃身の長い
鉄砲を揃え、幕軍最強の呼び声が高かった
その熊本藩が守る小倉城を攻めた高杉軍は
肥後勢の鉄砲の前に手痛い打撃を受けた
高杉さん、死傷者は百五十名を越えています
これ以上は無理です
分かっている、懇ろに弔い
一旦下関に引き上げよう
下関に戻った高杉は軍議を開き打開策を講じる
まず小倉藩の要所、赤坂の目前に砲台を構え
無言の圧力を掛けたのである
この砲台の威力は、先の戦いで幕府軍は
骨の髄まで思い知らされていた、無論時折の
威嚇射撃も忘れなかった
更に砲台には、篝火が焚かれ光々と
夜空を焦がしていた
これを見た幕府軍は一気に厭戦気分に
襲われる、各地で幕府軍敗退の報も
伝えられ
その上将軍家茂が急死
老中小笠原長行は、江戸に引き上げて
しまった
これに乗じて諸藩の軍勢も一斉に引き上げ
幕府軍は事実上敗北を喫した
小笠原の行動が
勝敗を決するものとなった
慶応二年八月一日、小倉城に火の手が上る
高杉軍に攻め込まれるのを恐れた小倉勢が
自ら火を放ったのである
僅か千人足らずで、五万の大軍に勝利を
収めた奇兵隊高杉晋作は、炎上する
小倉城を見て何を想っただろう
酒と詩をこよなく愛した高杉は
同志が眠る桜山神社に招魂場を設け
次のような詩を奉じている
猛烈の奇兵、何の志す所ぞ
一死を持って、邦家に報いんと欲す
欣(よろこ)ぶべし
名遂げ功成るの後
共に招魂場上の、花とならん
高杉晋作春風
やがて持病の労咳が悪化し、小倉城炎上
から七ヵ月後、余りに短い二十九年の
生涯に幕を閉じた
この小倉城の戦いは幕府倒壊の序章となった
この後僅か数年で、明治政府が誕生する
のである
高杉晋作、維新の先駆けとなった熱情の志士
そう言えるかも知れない
これは メッセージ 4709 (rie2376 さん)への返信です.
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