何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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高杉晋作

投稿者: rie2376 投稿日時: 2010/04/10 07:55 投稿番号: [4709 / 6355]
二本目は高杉晋作を、長いそうで
2回に分けて

    
      峻烈、奇兵隊  

慶長二年八月、第二次長州討伐の
幕府軍は十万の大軍を擁して長州を
目指していた

迎え撃つ長州軍は約三万、圧倒的な
戦力の差は第一次長州討伐と同様
長州藩の敗北を予感させるものであった

幕軍司令官、老中小笠原長行は軍議の
席で壮語する

長州の者共、再び我らの前に
頭(こうべ)を垂れるであろう

将軍家の御威光、些かも揺るぎなし

元来官僚畑の小笠原が司令官として
指揮を取ったのは、長州藩は戦わずして
降伏するであろうという幕府の安易な
思惑であった

この思惑は外れ、後々大きな禍根を残す
事になる

第一次長州討伐の後、長州藩では幕府に
従順な態度を取る保守派が実権を握っていた

反幕府勢力は粛清され、多くの志士達が
切腹打ち首の憂き目に逢わされたが
これに敢然と立ち向かったのが
高杉晋作であった

高杉晋作   諱(いみな)は春風

萩に生まれ、十九歳の折吉田松陰の
松下村塾に入門、英才を発輝して
久坂玄瑞と共に松門の双璧と称された

高杉は、檄を飛ばす

今や尊皇攘夷が事、火急の時なり
共に起ちて、奸物を討ち果たさん

元治元年十二月、高杉の檄文に応じて
功山寺に結集した八十余名は尊皇攘夷を
掲げて決起する

この時高杉はこう述べている

長州男児の心意気、得と御覧に入れ申す

高杉は民兵組織、奇兵隊を組織し保守派の
討伐に全精力を傾けた 、この奇兵隊は
正式な軍隊ではなく農民や下級武士で
構成されていた

徹底した訓練と、西洋式の装備で力を蓄え
次々と保守派を打ち破り、長州は再び
倒幕派が実権を握ったのである

我等、再び起ちて   勤皇の志
貫(つらぬ)かん

第二次長州討伐軍の主力は、九州小倉城に
入城していた、その兵力は約五万、対して
迎え撃つ高杉奇兵隊は僅か一千
対岸の下関に布陣する

一対五十   数で圧倒的に不利な高杉は
徹底したゲリラ戦法を取った

小倉藩の軍港、田野浦を急襲し幕府軍が
用意していた、二百艘に及ぶ軍船を焼き払い
同時に下関の砲台から、幕府軍の陣営に
大量の砲弾を浴びせたのである

幕府軍は大混乱に陥り、初戦は高杉軍の
大勝利となった
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