何故、嫌いな日本人に成り済ますのか?

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少年の夢 パート2

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/09/12 08:24 投稿番号: [3715 / 6355]
忠敬にしてみれば、蝦夷まで行くのが
第一義であり、地図の作成はその余禄だった
のである

忠敬が第一歩を踏み出してから三年後
測量を終えた忠敬は、地球の大きさの
算出に取り掛かった、計算によると
直径約四万キロ

但しこれを証明するするのは困難であった
忠敬と至時は思案に暮れる

丁度その頃、オランダから天文に関する
書物が届き、蘭学に明るい至時が解読
してみると地球の大きさは約四万キロ

忠敬の計算と一致していた

推歩先生、あなたの測量は正しかった

先生、総て先生のお陰です

二人は手を取り合って喜んだ、忠敬にとって
至時は師であり良き友であった   その至時も
四十六歳の若さで病に倒れ息を引き取る

忠敬の落胆は大きかった、毎朝のように
至時の墓に向かい手を合わせ、
頭(こうべ)を垂れた

至時の死後七か月、忠敬は完成した
東日本測量図を幕府に献上する
江戸城大広間で披露されたその地図には
誰もが息を呑んだ

壮大かつ緻密、地名がびっしり書き込まれ
居並ぶ老中達も感嘆の声を挙げた
十一代将軍、徳川家斉も同様であった

伊能忠敬大儀である   我が日ノ本(ひのもと)
斯くの如しとは

その方、西国に使わす   日ノ本総てを
描いて参れ

ははー、仰せの如く

こうして忠敬の西国への旅が始まった
それはもはや個人的な物から国家事業と
なったのである

この西国測量は苦難の連続だった

忠敬が再び江戸に戻ったのは、出発してから
十一年後の事である、江戸に戻った忠敬は
地図の完成に没頭する

しかし多年の無理が祟ったのか、文政元年四月
病を得てその生涯に幕を閉じた

(享年七十四歳)

忠敬の死は伏せられ弟子達が地図の完成に
励んだ、あくまで師忠敬の仕事であるという
彼等の想いであった

文政四年七月、大日本沿海興地全図は完成し
幕府に献上される、伊能家はこの功績により
帯刀を許され、武家並みの扱いを受ける
ようになった

忠敬の作った地図は、今の衛星を利用した
最新の物と変わりがなく、精巧なものであった

幕末、明治と時代が変わり日本は近代国家へと
突き進む   この時、忠敬の地図が重要な役割を
果たす事になる

鉄道、道路網の整備、近代国家への
水先案内人となった

伊能忠敬、心の中に流れていたのは
少年の頃の夢、輝く夜空の星、天空の
不思議

忠敬の生涯は子供の頃の夢を成し遂げ
後世に多大な貢献を残した、栄光の
生涯だった思えてならない
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