日本の謝罪なしで北朝鮮の謝罪はない

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朝鮮はあまりにも日本を知らなかった

投稿者: corea_sucks 投稿日時: 2008/04/13 13:38 投稿番号: [5819 / 7739]
韓国にもまともな学者がいます。
しかし記者はよく理解していないようです。

「日本は朝鮮をよく知っていたが、朝鮮は日本をあまりにも知らなかった」

  韓・日文化交流の象徴と思われている朝鮮通信使が、18世紀の日本の思想界に訪れた急激な変化についてきちんと理解できず、その流れを把握することに後れを取った、という研究結果が発表された。
韓国文学研究者の具智賢博士(延世大BK21博士号研究員)が最近、学術誌『東方学志』(延世大国学研究院刊)第138集に寄稿した論文「筆談を通した韓・日文士交流の展開様相」においてこのように主張した。

  具博士は、朝鮮通信使が江戸に行くために必ず経由しなければならなかった赤間関において通信使と日本の文士たちが交わした筆談記録80余通を収集、分析した。
18世紀初頭、日本の儒学の流れは、伝統的な朱子学研究から荻生徂徠(1666‐1728)を中心とした古文辞学へと移り変わっていた。古典の文章本来の意味に沿うように儒学を再解釈、朱子学的な伝統から抜け出す学風だった。

  1763年、日本の赤間関(現在の山口県下関)で、日本の儒学者瀧鶴台は、朝鮮通信使の一行を迎える席上このような言葉を発した。
「世の中には、儒教ならずとも数多くの教えが存在している」「実用的な目的のためであれば、いかなる学問であっても有用に受け入れることができるのであり、今の中華主義から抜け出なければならない」という、時代を先取りした主張だった。
しかし元重擧と成大中ら朝鮮通信使の考えは違った。彼らは、ややもすると日本の学界が朱子学を捨てて異端の思想に溺れるのではないか、と憂慮していた。

  われわれ韓国人は18世紀という時代を「実学の時代」と認識しているが、まさにその18世紀の朝鮮通信使は、変わり行く日本思想界の流れを見逃し続けていたというのだ。
1748年の通信使派遣(戊辰使行)当時、赤間関の学風は朱子学から徂徠学へ完全に移り変わった状態だった。しかし、製述官朴敬行をはじめとする朝鮮通信使たちは、特別な関心を傾けることはなかった。
1763年の通信使派遣(癸未使行)に至って、ようやく朝鮮通信使たちは「一体、徂徠学とは何ぞや」と探索を行なったものの、すでに徂徠学は衰退期に差し掛かっていた。
この時期の日本の学界は、西洋の学問である蘭学までも拒否しない開放的な学風に移り変わっていた。それでも通信使たちの視点は、依然として「正学」と「異端」を分ける段階にとどまっていた。

問題は、次々と変化していく日本の変化をきちんと分析するには彼らの思考方式があまりに硬直化しており、中華的秩序と朱子学的思想体系を捨て去ることができなかった、ということだった。

赤間関にて、日本の学者山県周南が「李退渓の文集はもう読んでみた」と語ったのは1711年のことだ。これに対し朝鮮通信使は、1748年に至ってようやく日本の著名な儒学者である伊藤仁齋(1627−1705)の文集を求めたことが分かっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
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