Re: 平成天皇は、ご自分のお言葉で、
投稿者: redpurge18000 投稿日時: 2007/03/20 11:42 投稿番号: [2371 / 7739]
なるほど、いずれにしても2chのかきこを、そのまま引用しているっちゅうことか、大体、スレッドなんちゅう言い回しも2ch用語やわwここはやふの掲示板ですがなw板でよろしいわw
レス元の提示を再アップやねwわけわからんことになるのが、理解してくれるかなwま、どおぉでもいいとおもてるんやろw暇つぶしくらいにw
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横取り40萬(070315)φ ★ :2007/03/09(金) 15:40:42 ID:??? ?2BP(8)
◇「満州事変で苦い経験」 昭和天皇、戦時の心境 侍従の日記見つかる
太平洋戦争前の1939年から45年の敗戦までの昭和天皇の肉声がつづられた当時の侍従の
故小倉庫次・元東京都立大学法経学部長の日記が、9日までに関係先から見つかった。
10日発売の月刊誌「文芸春秋」4月号に掲載される。
「満州事変で苦い経験を嘗(な)めて居る」「戦争は始めたら徹底して」などと戦時下に昭和天皇が
側近に語った心境が記載されている。
日記は、ノモンハン事件直前の39年5月から45年8月の敗戦まで、宮内省(当時)の用紙約600枚
に書かれている。
39年7月5日、満州事変を主導した石原莞爾少将らを栄転させる人事の説明のため板垣征四郎
陸相が天皇に面会。直後の様子について「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末(あとしまつ)
は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。
人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述。陸軍人事への不満が吐露されている。
日中戦争への思いもつづられている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門
の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止(や)めて、
10年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明」(41年1月9日)。
太平洋戦争開戦直後の41年12月25日には「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処
(ところ)なれば支障なからむ」と話していた。
42年12月、伊勢神宮参拝後に京都に立ち寄った際には「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で
押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗めて居る。(中略)戦争はどこで止めるかが大事
なことだ」「支那事変はやり度(た)くなかった。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄
では深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」などと戦争への率直な悩みが語られている。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/42486/
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で一度、公式に謝られている。もしそれが本心であるならば、平成天皇ご自身が、自ら、相応の刑に、服されるべきだ。日本人一億人以上の人々を犠牲に
しているのは、今でも天皇家だということが、現在のニュースの本筋だと、
どうしても私には思える。また、皇室へ忠臣ずらしている多数の政治家は、
忠臣ずらすることで利権を得られる悪党だということが丸出しだ。これは、
犯罪者集団であるギャング、すなわち暴力団の代表である右翼団体が、
犯罪の刑を軽くしてね、というお願いをする目的で宣伝カーで天皇崇拝の
ことで街頭宣伝をしているのと、全く同じだ。「拉致被害者家族は日本人全員
を犠牲にしようとするな!!」「過去の戦争が犯罪かどうか、そして、現在の
日本が同じようなことをする国かどうかが、争点であるはずだ!!」不当な
民事裁判をされて、わたしは警察に、助けを求めたが、何もしてくれ
なかった。組織暴力が大手を振るっているのが、日本国だ。組織暴力の
代表である右翼団体が喧伝をしているのが、天皇制だ。日本国が悪の帝国
であるという事実は、今も何も変わってはいない。
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↑のようにきちんと引用してくれよw軟禁君
レス元の提示を再アップやねwわけわからんことになるのが、理解してくれるかなwま、どおぉでもいいとおもてるんやろw暇つぶしくらいにw
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横取り40萬(070315)φ ★ :2007/03/09(金) 15:40:42 ID:??? ?2BP(8)
◇「満州事変で苦い経験」 昭和天皇、戦時の心境 侍従の日記見つかる
太平洋戦争前の1939年から45年の敗戦までの昭和天皇の肉声がつづられた当時の侍従の
故小倉庫次・元東京都立大学法経学部長の日記が、9日までに関係先から見つかった。
10日発売の月刊誌「文芸春秋」4月号に掲載される。
「満州事変で苦い経験を嘗(な)めて居る」「戦争は始めたら徹底して」などと戦時下に昭和天皇が
側近に語った心境が記載されている。
日記は、ノモンハン事件直前の39年5月から45年8月の敗戦まで、宮内省(当時)の用紙約600枚
に書かれている。
39年7月5日、満州事変を主導した石原莞爾少将らを栄転させる人事の説明のため板垣征四郎
陸相が天皇に面会。直後の様子について「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末(あとしまつ)
は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。
人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述。陸軍人事への不満が吐露されている。
日中戦争への思いもつづられている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門
の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止(や)めて、
10年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明」(41年1月9日)。
太平洋戦争開戦直後の41年12月25日には「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処
(ところ)なれば支障なからむ」と話していた。
42年12月、伊勢神宮参拝後に京都に立ち寄った際には「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で
押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗めて居る。(中略)戦争はどこで止めるかが大事
なことだ」「支那事変はやり度(た)くなかった。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄
では深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」などと戦争への率直な悩みが語られている。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/42486/
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で一度、公式に謝られている。もしそれが本心であるならば、平成天皇ご自身が、自ら、相応の刑に、服されるべきだ。日本人一億人以上の人々を犠牲に
しているのは、今でも天皇家だということが、現在のニュースの本筋だと、
どうしても私には思える。また、皇室へ忠臣ずらしている多数の政治家は、
忠臣ずらすることで利権を得られる悪党だということが丸出しだ。これは、
犯罪者集団であるギャング、すなわち暴力団の代表である右翼団体が、
犯罪の刑を軽くしてね、というお願いをする目的で宣伝カーで天皇崇拝の
ことで街頭宣伝をしているのと、全く同じだ。「拉致被害者家族は日本人全員
を犠牲にしようとするな!!」「過去の戦争が犯罪かどうか、そして、現在の
日本が同じようなことをする国かどうかが、争点であるはずだ!!」不当な
民事裁判をされて、わたしは警察に、助けを求めたが、何もしてくれ
なかった。組織暴力が大手を振るっているのが、日本国だ。組織暴力の
代表である右翼団体が喧伝をしているのが、天皇制だ。日本国が悪の帝国
であるという事実は、今も何も変わってはいない。
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↑のようにきちんと引用してくれよw軟禁君
これは メッセージ 2360 (yukijirushi_shokuchudoku さん)への返信です.