Re: 特集: 釣魚島―その歴史的事実を探る
投稿者: anti_mainas_shikou 投稿日時: 2012/10/10 20:10 投稿番号: [3 / 4]
明の資料
「順風相送」
には琉球までの航海が記してある。
その時、 「釣魚嶼」
は航海の目印として使われている。
だから、明の領土だと言う理屈だが、
では、明の使節は、どうやって、その先に琉球があると知ったのか。
簡単である、その船に琉球人が乗っていて案内していたからだ。
つまり、琉球人が大陸に渡るとき、その島を目印に使っていたのだ。
つまり琉球人が先に発見して使っていたという事だ。
「釣魚嶼」
が琉球の領土である事は明国も認めている。
明朝万暦年間に王圻が書いた
「三才図絵」
に「
琉球国の図」
という
地図があり、この中に
「釣魚嶼」
が琉球にくっつくほど近くに書いてある。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka52/wakan-1715/c08.jpgこのままでは、見ずらいが、拡大すれば判る。
下の方に小琉球とあるのは台湾。
この図は、 「和漢三才図絵」
に転写されている。
ところで中国は、1562年に胡宗憲が編さんした書物
『籌海図編』
の
「沿海山沙図」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka40/chokaizuhen-1562/06.jpgに福建省の寧徳県の沖合いに「赤嶼」が書いてあり、羅源県の海中に「釣魚嶼」が
書いてある。だから、明の領土だと言うけど、
同じ『籌海図編』の「福建沿海総図」には「釣魚嶼」も「赤嶼」も書いてない。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/chukai.htmつまり、領土ではないという事だ。
単に、倭寇対策の警備区域にしたに過ぎない。
こんな物を、領土というなら、
支那事変中、日本軍の各部隊が受け持った警備区域は全部日本領となる。
林子平が著した 『三国通覧図説』 は証拠にならない。
当時琉球は日本とは別の国、
林子平は日本人、かつ、日本は鎖国中、
彼が空想で何を書いたところで、確たるものではない。
>1895年4月17日、清朝は甲午戦争に敗れ、・・・
「台湾全島およびすべての付属島嶼」を割譲することを強いられた。
釣魚島などは台湾の「付属島嶼」としてともに日本に割譲されたのである。
尖閣諸島はその前に日本が領有している。
戦争でとれるなら、面倒くさい調査をして先に領有する意味がない。
戦争で盗れないから領有したのだ。
そもそも、釣魚島は福建の管轄と言っていなかったか?
台湾がシナの領土になるのは清の時代だ。
でいつ、台湾の管轄に移ったのだ。
或るときは福建の管轄と言い、ある時は台湾の管轄と言う。
どうして、福建と台湾で喧嘩にならないのだ。
要するに、どちらでもなかったから、もめずにいるのだろう。
これは メッセージ 1 (インサイトチャイナ さん)への返信です.
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