Re: 日米同盟はなぜ重要なのか?①
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2012/01/30 01:06 投稿番号: [94733 / 95793]
別トピから:
>日本を植民地化する企図を列強が持っていたという証拠になるような史料ってあるのでしょうか?
欧米列強の内部文書、交換文書は必ずあると考えて当然ではないかな?
なぜならば、当時の東南アジアはインドを含み欧米列強の植民地と化している。次は清朝中国であり、日本であったということだ。徳川幕府が鎖国を続けていた江戸末期、徳川幕府が長崎の出島を通じて唯一オランダとの交易を認めていた。その徳川将軍(14代徳川家茂)に当時のオランダ国王が親書を送っている。その親書の内容は、欧米列強による植民地政策を幕府に警告するものであった。ペリーの来航があるであろうこともこの新書に記されている。
生麦事件の結果、薩摩藩は鹿児島湾に進入してきた大英帝国艦隊と戦闘している。
日清日露戦争の原因は、当時の朝鮮半島(李朝)にある。李朝は欧米列強の前にまさに風前の灯火にあった。李朝は大国清国に事大しておれば安泰と考えていた。ところがその清朝はアヘン戦争であっけなく欧米列強に弱体をさらしたのである。これが日清戦争の引き金だな。せめて朝鮮半島だけでも欧米列強の牙から防ぎたい、日本と手を組んで欧米列強の脅威と対峙してもらいたいと明治政府は願った。日清戦争の結果、朝鮮半島は清朝の属国を解かれ、晴れて大韓帝国という独立国になったが、実態は李朝の延長にすぎなく、独立国としての体裁すらなかった。
日本の干渉と相次ぐ大韓帝国皇室の内紛に業をにやした皇帝高宋は、何を血迷ったのか最も日本が警戒するロシア帝国に救いを求めたのである。朝鮮人のふがいない性格だな。これが日露戦争の引き金である。当時の日本には、巨大なロシア帝国に勝てる自信などなかった。唯一の頼みの綱は、ロシアの南下政策と対峙していた英国であったが、三笠等の軍艦を日本に売却する以外は高見の見物を決め込んでいる。
当時の日本には戦費すら不足していたから、借り入れに奔走している。結果、日本は国土を蹂躙されることもなく、ロシアとの戦いに勝利した。まさに背水の陣で臨んだ戦いであった。当時の日本のサムライ魂がロシア騎士道に勝ったということだ。しかし、これ以後、日本では軍部が台頭し、満州事変を経て太平洋戦争に突入する。これは、好むと好まざるをにかかわらず、明日の日本のために客観的にしっかりと検証する必要がある。
もう1時であるから、これまでにしよう。
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