米帝の常套手段
投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2011/10/18 21:30 投稿番号: [93964 / 95793]
朝鮮戦争
1950年1月12日、アメリカのトルーマン政権のディーン・アチソン国務長官が、
「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」
と発言し(「アチソンライン」)、
韓国のみを含めなかった
(これは、アメリカの国防政策において「太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」
という意味であったが、朝鮮半島は地政学上、大陸と海の境界線に位置している関係や、長く日本の統治下にあったこともあって、判断が難しい地域でもある)。
金日成はこれを「アメリカによる西側陣営の南半部(韓国)放棄」と受け取った。
さらに、極東地域のアメリカ軍を統括していた連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーは占領下に置いた日本の統治に専念しており、1945年8月に着任して以降、朝鮮半島に足を運んだのは1回のみだっ。
スターリンによる侵攻容認
これらの状況の変化を受け、同年3月にソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永に対し、金日成の働きかけ(内容としては、電報の内容を故意に解釈し、「毛沢東が南進に積極的である」とスターリンに示したり、また逆に「スターリンが積極的である」と毛沢東に示したりしたというもの)もあり、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。
これを受けて、同年5月に中華人民共和国を訪問した金日成は、「北朝鮮による南半部への侵攻を中華人民共和国が援助する」という約束を取り付けた。
これは メッセージ 93963 (kubotakaaki2005 さん)への返信です.
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