新しい歴史教科書 抜粋3
投稿者: korinnnnnnnnnn 投稿日時: 2005/04/18 10:41 投稿番号: [9286 / 95793]
[身がわりになった弟橘媛<おとたちばなひめ>]
尊はさらに走水海<はしりみずのうみ>(浦賀水道)を渡ろうとしたが,波が荒れて船を進められなくなった。このとき,妃の弟橘媛は,「自分が身がわりとなって海に入りましょう。あなたさまは,どうか大切な任務を果たしてください」と言って海の中に飛び込んだ。するとみるみる波はしずまり,穏やかになった。こうして尊は危難から救われた。そのときの妃の歌は,次のようなものだったと伝えられている。
さねさし
相武<さがむ>の小野に
燃ゆる火の
火中<ほなか>に立ちて
問ひし君はも
(相模国の,あの野原の燃えさかる火の中で,私の身を案じてよびかけてくださったあなたさまだったことよ)
こののち,尊は東方の乱れをしずめて大和へ帰る途中,碓日<うすい>の坂(群馬県碓氷峠)で弟橘媛を偲んで,「吾妻<あづま>はや(ああ,わが妻よ)」と嘆いた。これによって,関東を「あずま(東)の国」とよぶようになったという。
やがて尊は,剣をもたないで,伊吹山<いぶきやま>(滋賀県と岐阜県の境)に登り,山の神のたたりにあって,ついに伊勢の能褒野<のぼの>(三重県鈴鹿市)で病気が重くなり,亡くなってしまった。人々は,その場所に陵<みささぎ>(墓)をつくって,尊をていねいにほうむった。すると,尊は白鳥になってそこから飛び立った。その後,白鳥が降り立った場所にも陵はつくられ,現在でも尊の陵は三つ残されている。
以上が,日本武尊と弟橘媛の言い伝えである。
こんなんばっか・・
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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