守屋氏の転落
投稿者: iwacchi1960 投稿日時: 2007/12/01 00:02 投稿番号: [83966 / 95793]
宮城県塩釜市生まれ。日本有数のマグロ水揚げを誇る港町を見下ろす高台に生家がある。
父親は衆議院議員や初代塩釜市長を務めた政治家。
兄は戦時中、短期現役一期生として海軍主計大尉を務める。
守屋氏には忘れられない風景があるそうだ。
生家の正面にある「東北鎮護社」の由緒をもつ塩釜神社。進駐軍の兵士が毎週のように、ジープ型自動車で境内の階段を上る競争をして遊び、飽きるとコーラの瓶を並べて射撃をしていた。
幼い頃から身近で感じた政治、軍隊、アメリカ・・・
「日本が米国と肩を並べる国にしたい」と話す守屋氏。
1971年に防衛庁に入る。東北大学出身。
その頃は本気で防衛庁を目指す学生は少なかったそうだ。
その守屋氏が山田洋行の元専務宮崎氏と知り合ったのは40歳位の時。
異常ともいえる接待を暗示するのは、10月の証人喚問で述べた言葉
「米国の考えを収集する貴重な情報源」という言葉だ。
「こちらは丸裸で、何重にもよろいを着ける米国を相手にしなければならない」
「米国の情報が欲しかったんだ」
以前から友人にそう語っていたという。
小泉元首相の抜擢を受けたが守屋氏自身は英語をほとんど話せない。米国の元国務副長官アーミテージらとも親交がある宮崎氏の人脈は守屋氏にとっては貴重なものだった。
親しかった他省事務次官候補の業者との癒着による失脚を見て慎重だったはずの守屋氏が何故接待に溺れたのか・・
「守屋は最初は宮崎を情報源として信頼していた。だが気づいたときには、百戦錬磨の宮崎が張り巡らしたわなにがんじがらめだった・・・」周辺からは実力者の腐敗を残念がる声も聞こえてくる・・・・
(以上、イワ地方新聞より抜粋、コピペ)
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