この朝鮮日報の記事は昔のNHK番組を
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/09/24 01:25 投稿番号: [78677 / 95793]
想い出させる。儂が戦地から帰って来たのは終戦からかなり経っておった。生きて帰っては来たが親戚がいい顔したのはほんの数ヶ月。戦死した数名の部下の親にご子息の最後を報告したりしたが、何せ仕事がない。それで北の炭坑へ行った。親戚が所長をやっとったから、そこに転がり込んだ。炭坑町は長屋が山にへばりつくように並んでおって、トタンを円筒にした煙突の数で長屋の世帯数がわかり、夕飯どきになると黒い煙が一斉に上がっておった。雪がふると辺り一面銀色の世界になるが、すぐに煤煙で薄汚くなる。いまじゃ、公害とか環境破壊とかに該当するんじゃやろうが、当時はあたりまえのことであた。
ん、なんの話しだったかな?
そうそう、リンゴの話しであった。炭坑町のはずれにリンゴ農家がいくつかあって、初めて見たときはびっくりした。背の低い木々が白い花いっぱいに咲かせ、中に入るとリンゴの枝を避けるのにかがむほどであった。そして、確か夏頃であったか、そのリンゴ農家をふらりと尋ねたら、新聞だか雑誌だか、そんな紙を使った紙袋を枝に鈴なりの小さな青リンゴに被せておった。数個がひとかたまりになっておるのを1個だけ残し後は切り落として、中で一番元気良さそうなのに袋をかぶせておった。
そこのおやじが儂に「暇だったら手伝え」というもんだから、手伝った。紙袋の開講口の片端にトタンを小さな平たいピンのように切った破片がのり付けされた紙の間に入っていて、袋の開いているところから、当然であるが、小さなリンゴを包み入れ、口をしぼめてそのピンを折り曲げてしぼめた口が開かんように固定する。確か、四十九号だか、五十六号だか、そんな名前のリンゴであった。その炭坑には二年いた。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/23/20060923000019.html爺
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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