「ロシアの旅」(2) - 出発
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/05/19 22:10 投稿番号: [75159 / 95793]
高校に入ってはじめての夏休みを迎えようとしていたとき、稽古の途中で爺に呼び出されました。「きっと夏休み中の剣友会の稽古か、近くの中学校剣道部の総体向け稽古日程の打ち合わせかな?」と思いながら爺の部屋に入ると、他に誰もおりません。先輩や指導者の方々もおりません。私一人だけ呼ばれたようでした。「あっ、また怒られるぅ...」と思って思わず首をすくめていると、「ロシアへ行くから、ついてきなさい」と一言。何が何だか分からないでいると、今度は邦夫さんがきて写真だとか何だとか言って、パスポートとビザの手配をするということでした。
このとき、爺は私の祖母の古くからのお知り合いで、その縁でこの道場で稽古させてもらっていると思っておりましたから、他人の私を連れて行ってくれるなんてとても信じられませんでした。それでも、稽古が終わって、母が入院している病院へ行く道すがら、「ああ、生まれて初めて外国へ行ける...」との思いがこみ上げ、自然と心が躍り始めたのを覚えております。
「よかったわね」、母は、力のない顔に笑みを浮かべて、そう言ってくれました。私たちは、新幹線に乗りました。成田ではなく、新潟行きの新幹線でした。車内で私は邦夫さん相手にはしゃいでいたようですが、爺は相変わらず気むずかしそうに無口でした。時折、書類に目を通してはむっつりしております。このとき、爺が空を見上げながら「虎穴に入らずんば...得ず」と言ったようなひとり言を聞いた気がしましたが、別に気にも止めませんでした。私は「ロシアって一体どんなとこだろう、本で読んだロシアかな、それともスパイ映画に出てくるような暗くて怖いところかな...」という期待と不安感が交錯し、始終落ち着きませんでした。
新潟空港は町はずれにあり、駅からバスで行きましたが、まったくの田舎空港でした。成田空港へは爺の見送りなどで何回か行きましたから、その違いに少しがっかりしました。イリューシュンでしょうか、ジャンボ機よりはるかに小さなジェット機が1機、滑走路の近くに止まっておりましたが、出発時間になっても搭乗手続きがはじまりません。少し遅れるとのアナウンスがありましたが、結局3時間遅れで搭乗手続きがはじまりました。搭乗は、これよりさらに1時間近くも遅れて開始され、イリューシュンまで歩いて搭乗しました。4、50人ばかりの乗客のほとんどは、年配の日本人でツアー客のようです。ものすごい轟音とともに急激に機首をあげて離陸しましたが、一瞬「怖い、大丈夫かしら」という不安で心臓がはれつしそうになりました。
ロシアのどこへ行くのか、何のために行くのか、爺が詳しいことを教えてくれませんでしたから、私はてっきり爺の所用ついでに同行させてもらっているものとばかり思っておりました。このとき、これが1ヵ月以上もの旅になるとは夢にも思わなかったのです。
私たちのロシアの旅は、イルクーツクから始まりました。深夜に空港に着き、タラップを降りてから、ほとんど明かりのないコンクリートの上を歩き、薄暗い空港建物に入りました。そのまま人の流れの後を付いて行きましたら、建物の反対側、すなわち外に出てしまったのです。あわてて荷物ということで、また建物にもどりましたが、どこで荷物を受け取るのかわかりません。
やがて、空港の人が来て、滑走路のある方へと案内してくれました。空港建物の外の壁際に荷物を山のように積んでありましたが、暗くてよくわかりません。邦夫さんがポシェットから小さな懐中電灯を取り出して、ひとつひとつ確認しながら、他のお客さんの荷物も探して、結局、私たちは一番最後に空港を出るはめになりました。厳重な入国検査を受けるのではないかと内心ひやひやしておりましたが、検査らしい検査はまったくありませんでした。
薄暗い外には、古い中型のボンネットバスが1台止まっておりました。爺が運転手にロシア語で訊くと、私たちを待っていたとのことでした。他に乗客はおりません。私はどこに連れて行かれるのかと不安でしたが、バスはやがて大きな河畔のホテルへ入りました。町は明かりも少なく、暗闇の中で死んだように静まりかえっておりました。
<後日に続きます>
直子
このとき、爺は私の祖母の古くからのお知り合いで、その縁でこの道場で稽古させてもらっていると思っておりましたから、他人の私を連れて行ってくれるなんてとても信じられませんでした。それでも、稽古が終わって、母が入院している病院へ行く道すがら、「ああ、生まれて初めて外国へ行ける...」との思いがこみ上げ、自然と心が躍り始めたのを覚えております。
「よかったわね」、母は、力のない顔に笑みを浮かべて、そう言ってくれました。私たちは、新幹線に乗りました。成田ではなく、新潟行きの新幹線でした。車内で私は邦夫さん相手にはしゃいでいたようですが、爺は相変わらず気むずかしそうに無口でした。時折、書類に目を通してはむっつりしております。このとき、爺が空を見上げながら「虎穴に入らずんば...得ず」と言ったようなひとり言を聞いた気がしましたが、別に気にも止めませんでした。私は「ロシアって一体どんなとこだろう、本で読んだロシアかな、それともスパイ映画に出てくるような暗くて怖いところかな...」という期待と不安感が交錯し、始終落ち着きませんでした。
新潟空港は町はずれにあり、駅からバスで行きましたが、まったくの田舎空港でした。成田空港へは爺の見送りなどで何回か行きましたから、その違いに少しがっかりしました。イリューシュンでしょうか、ジャンボ機よりはるかに小さなジェット機が1機、滑走路の近くに止まっておりましたが、出発時間になっても搭乗手続きがはじまりません。少し遅れるとのアナウンスがありましたが、結局3時間遅れで搭乗手続きがはじまりました。搭乗は、これよりさらに1時間近くも遅れて開始され、イリューシュンまで歩いて搭乗しました。4、50人ばかりの乗客のほとんどは、年配の日本人でツアー客のようです。ものすごい轟音とともに急激に機首をあげて離陸しましたが、一瞬「怖い、大丈夫かしら」という不安で心臓がはれつしそうになりました。
ロシアのどこへ行くのか、何のために行くのか、爺が詳しいことを教えてくれませんでしたから、私はてっきり爺の所用ついでに同行させてもらっているものとばかり思っておりました。このとき、これが1ヵ月以上もの旅になるとは夢にも思わなかったのです。
私たちのロシアの旅は、イルクーツクから始まりました。深夜に空港に着き、タラップを降りてから、ほとんど明かりのないコンクリートの上を歩き、薄暗い空港建物に入りました。そのまま人の流れの後を付いて行きましたら、建物の反対側、すなわち外に出てしまったのです。あわてて荷物ということで、また建物にもどりましたが、どこで荷物を受け取るのかわかりません。
やがて、空港の人が来て、滑走路のある方へと案内してくれました。空港建物の外の壁際に荷物を山のように積んでありましたが、暗くてよくわかりません。邦夫さんがポシェットから小さな懐中電灯を取り出して、ひとつひとつ確認しながら、他のお客さんの荷物も探して、結局、私たちは一番最後に空港を出るはめになりました。厳重な入国検査を受けるのではないかと内心ひやひやしておりましたが、検査らしい検査はまったくありませんでした。
薄暗い外には、古い中型のボンネットバスが1台止まっておりました。爺が運転手にロシア語で訊くと、私たちを待っていたとのことでした。他に乗客はおりません。私はどこに連れて行かれるのかと不安でしたが、バスはやがて大きな河畔のホテルへ入りました。町は明かりも少なく、暗闇の中で死んだように静まりかえっておりました。
<後日に続きます>
直子
これは メッセージ 75132 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/cf9qa4nhbfffca5ga5b_1/75159.html