○僧4が面白い投稿をしておった
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/28 22:12 投稿番号: [74474 / 95793]
昨日であったか、一応貼り付ける:
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=cf9qa4nhbfffca5ga5b&sid=552022058&mid=74429日本には日本人の歴史、朝鮮には朝鮮人の歴史、中国には中国人の歴史があり、これは局地的な歴史である(もっと細かく言えば、個人には個人の歴史、家系には家系の歴史がある)。しかし、この局地的な歴史は、さらに拡大した東アジアの歴史、さらにさらに拡大したアジア大陸の歴史(東洋史)、そして最も広範囲となる世界史の流れに影響される。特に近代史においては、局地の歴史は激動の世界史のスケールの中で捉えないと、客観的な判断ができない。歴史は、客観的に捉えなければならない学問である。ここに主観が入ると、その主観を入れた本人の一方に片寄った歴史観であって、地球全人類の共存共栄には概して役だたないことが多い。時として、有害でありさえする。
「歴史学は、特定な個人や特定の国家のためにあるのではなく、全人類のためにある。いいかえれば、歴史学は人道主義に立脚したものでなければならない。そうでない歴史学はむしろ有害な存在であるといえるであろう」、「学問は、社会人類のためにあるといっても、社会人類のためなら、学問をどんなにつくりかえてもよいという意味ではない。すべての学問には、人間の力でどうすることもできない客観性があるものである。歴史学の場合、どのように見方を変えてみても、過去の事実は、自分につごうのよいように見直すことができない限界がある」宮崎市定。
これは、第二次世界大戦時に軍から日本を中心にすえた東洋史を編纂するよう指示された宮崎市定の言葉である。
<続く>
○僧3
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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