ことのは
投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2006/04/14 20:47 投稿番号: [73565 / 95793]
ことば
言葉
辞
詞
「こと」の「は」
まず、「は」
葉 歯 羽 端 刃
「は」のつくことば
張 晴 掃 恥 吐 果 履 貼 腫 跳 剥 馳 禿 映
春 花 ・・
「は」は葉のように多くて端のようで春先のようで
葉 歯 羽 のように新しいのが生えると古いのが落ちるもので
まるでそれは言葉のような特徴のある音です。
次に「こと」
事 言 異 寿 理 殊 思 箏 琴
「こと」と「もの」についての以下の見解が好きです。
「言霊の幸(さきは)ふ国」という言葉にあるように日本の言葉には霊力があると信じられてきました。語り部が伝えた物語は、一語一句を変えることなく伝えていたのではないかと思います。言葉は極めて大切な文化財であるとの認識があったに違いありません。今も日本語には擬音語・擬態語が多く自然な形で使われ、音韻の中にその意味を探ることもあります。これは文字の国中国が漢字の中に意味と発音を見出すのに匹敵しているのではないでしょうか。
荒木博之氏は『古事記』に「ことのかたりごと」と断りしてある部分があることなどから、「ものがたり」と「ことのかたりごと」とは古代の人間はカテゴリーを分けていたと論じています。今も「人生はむなしいもの」であって決して「人生はむなしいこと」とは言わず、「何と馬鹿げたことをしでかしたものだ」とは言っても「何と馬鹿げたものをしでかしたことだ」とは言わない点でこの使い分けは生きていると指摘されます。
「こと」が「1回的事件」であるのに対し、「もの」は「世の原理・法則」であり「ものがたり」は「世の原理・法則についての、あるいは原理・法則を知らしめるための説話」ということになります。鹿児島県の黒島に伝承されている昔話の語り始めのきまり文句は「さる昔、ありしかなかりしか知らねども、あったとして聞かねばならぬぞよ」であり、大隈半島、薩摩半島に伝わるのも同じ趣旨の語りはじめであるということです。出来事・実話の伝承に主眼を置いてないのが物語りの特徴です。
竹取・源氏・伊勢・大和・平家など物語文学は、黙読ではなく「語り」によって「もの」を教えた文学と言えます。
http://nice.ciao.jp/works/No22/No22page.html
「こと」の「は」
まず、「は」
葉 歯 羽 端 刃
「は」のつくことば
張 晴 掃 恥 吐 果 履 貼 腫 跳 剥 馳 禿 映
春 花 ・・
「は」は葉のように多くて端のようで春先のようで
葉 歯 羽 のように新しいのが生えると古いのが落ちるもので
まるでそれは言葉のような特徴のある音です。
次に「こと」
事 言 異 寿 理 殊 思 箏 琴
「こと」と「もの」についての以下の見解が好きです。
「言霊の幸(さきは)ふ国」という言葉にあるように日本の言葉には霊力があると信じられてきました。語り部が伝えた物語は、一語一句を変えることなく伝えていたのではないかと思います。言葉は極めて大切な文化財であるとの認識があったに違いありません。今も日本語には擬音語・擬態語が多く自然な形で使われ、音韻の中にその意味を探ることもあります。これは文字の国中国が漢字の中に意味と発音を見出すのに匹敵しているのではないでしょうか。
荒木博之氏は『古事記』に「ことのかたりごと」と断りしてある部分があることなどから、「ものがたり」と「ことのかたりごと」とは古代の人間はカテゴリーを分けていたと論じています。今も「人生はむなしいもの」であって決して「人生はむなしいこと」とは言わず、「何と馬鹿げたことをしでかしたものだ」とは言っても「何と馬鹿げたものをしでかしたことだ」とは言わない点でこの使い分けは生きていると指摘されます。
「こと」が「1回的事件」であるのに対し、「もの」は「世の原理・法則」であり「ものがたり」は「世の原理・法則についての、あるいは原理・法則を知らしめるための説話」ということになります。鹿児島県の黒島に伝承されている昔話の語り始めのきまり文句は「さる昔、ありしかなかりしか知らねども、あったとして聞かねばならぬぞよ」であり、大隈半島、薩摩半島に伝わるのも同じ趣旨の語りはじめであるということです。出来事・実話の伝承に主眼を置いてないのが物語りの特徴です。
竹取・源氏・伊勢・大和・平家など物語文学は、黙読ではなく「語り」によって「もの」を教えた文学と言えます。
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