韓国その2:山頂は誰一人いない夕暮れ
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/03/26 22:53 投稿番号: [71781 / 95793]
の静寂にあった。振り向けば、眼下に不夜城のごとく煌々と明かりが点る街並みが広がり、遠くに漢江がその明かりを抱え込む。無数の車のライトが流れ、ネオンが輝き、夕暮れの喧噪が、人々のドラマがこの山頂から目では感じ取られるが、物音はひとつとして聞こえない錯覚に落ちいる。
1990年初頭、中央アジア、ウズベキスタンとの国境の町、キルギスタンのオッシュを訪れた時のことを思い出していた。天山の国、キルギスタンの西のはずれの町、荒涼とした半砂漠の平原に「Mt.スレーマン」というわずか百数十メートル岩山があった。この半砂漠の平地では燦然とそびえ立つ急峰に見え、その昔、旧ソ連の支配が及ぶ前、この岩山は西のメッカと並ぶイスラム教の聖地であったと聞く。山の峰は幅1メートルにも満たない滑る岩肌となっており、その両側は目もくらむ断崖をなし、立って歩くことは正に転落を意味するがごとくであった。
大きく張り出した岩に腰掛けると、眼下の街並みがあたかも私の支配下にあって、諸々のよしなしごとに疲れ果てた私が思案のためにここに座っているような錯覚に陥る。不思議な世界が展開する。あたかもこの世界の指導者が、開拓者が、○○○が私であるような錯覚に陥る。ヒマラヤに旅した時もそうであった。四千メートルを超えるともうそこはガレ場である。尾根を超え、眼下に広がる風景はまさにこの世のものとは思えぬ神秘性に満ち、我一人天から授かった生命のようにも思えた。
<気が向けば続く>
○爺
これは メッセージ 71778 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.
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