中国の反日デモ

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汚奴

投稿者: fufushounyu 投稿日時: 2006/03/19 14:17 投稿番号: [71368 / 95793]
恣意的なのか無知なのか?
お前の提示資料を引用すると

>慶應元年(1865年)、麹町12丁目。143人の戸主(世帯主)のうち、38人が日雇い仕事で暮らしていました。約26%です。同年、四谷伝馬町新一丁目では96人中13人で14%。こちらは住民に武士が多い土地柄なので、数字が低くなっています。慶應3年、宮益町では172人中69人で40%にものぼります。さすがに現代の日本で、世帯主の4割がフリーターという話は聞きません。江戸の世では、結婚してもフリーターでいるのがおかしくなかったのです。

とういうように非常に悪意を持って恣意的に記述されている。
まず、現在との雇用形態がまったく違い、
当時の日雇い=現在のフリーター
現在のように分刻みや秒刻みの生活ではなく、のんびりした社会であったのはみとめるが、この図式はまったく通用しない。
しかも江戸時代において専業主婦などはごくわずかな公家や武家及び一部の富裕層のみであった。
しかも持ってきた資料の年代が凄すぎるな。
1865年?
オールコックがやってきたのと日米修好通商条約の締結が1858年

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552022058&tid=cf9qa4nhbfffca5ga5b&sid=552022058&mid=71065

前にも軽く触れたが欧米人たちの犯罪とも言える脅迫によって10万〜60万枚の小判が海外に流出し日本経済は大打撃を受けインフレと失業にあえいでいた時期だ。
欧米人のオールコックやハリスたちが自分の給料の実質金額を3倍にするための詭弁が日本経済をどん底に追いつめた時期の資料だ。
日本人も誤解している人が多いので
当時の金銀比価は概算で欧米では1:15、日本では1:12だった。
日本では金一両に対して銀四分で通用させていたんだが、メキシコ銀貨1ドルが目方では銀三分とつりあう。
ここに落とし穴があった。
徳川幕府は長年にわたるインフレ対策として金一分に代わりに比価1/3の銀の含有量を幕府が刻印を与える事で銀一分として流通させていた。
メキシコドルは刻印に意味のない山出しの目方の通貨であるが、日本の一分銀は、いわゆる名目貨幣であると言ったが、強圧されて押し切られた。
日本銀行の印がある一万円札を紙の目方の値段で言われたらおっかないね。
結局オールコックやハリスは、
メキシコドル4ドルを日本の運上所で一分銀12枚に交換する。
市中の両替店で一分銀12枚を天保小判三両に交換する。
海外で小判三両をメキシコ銀貨12ドルに交換する。
給料三倍の術のからくりだね。
さて、今度は昭和20年10月の失業率でも資料にしたものでも探してくるのか?

もうひとつ、自分の国を言わないのなら「私の国では」と言うな。
人の国や地域を聞くな。
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