Re: あるトビより
投稿者: minnnasugoi 投稿日時: 2006/02/27 23:31 投稿番号: [70141 / 95793]
続き
『陳儀の悪性に耐えかねた台湾の人たちに、自治を
要求する声が高くなっていた。私が台湾に
帰った翌年の昭和22年2月28日に、暴動事件が勃発した。
ことの起こりは、日本人の残していった酒、煙草の専売制
のある台湾で、上海から密輸された煙草が公然と売られており
専売局の取締官がそれを取り締まりに出て、誤って人を
撃ち殺したことにある。
たまたま殺された男が台北の有力なヤクザの一員だったため
怒った組員たちが、専売局に抗議のデモをかけた。
そうしたらかねてから当局に不満を抱いていた民衆の
鬱積していた怒りに火がつき、デモは長い行列になり
行政官のいる建物の前の広場を埋め尽くした。
この時、陳儀は建物の奥に隠れたまま、ベランダから
威嚇射撃をやらかした。怒り狂ったデモ隊は専売局を
焼き討ちし、逃げ隠れする外省人を捕まえて殴る、蹴る
の制裁を加えた。
陳儀は南京にいる蒋介石のところへ援軍の要請をした。
一週間して、○孟絹が引き連れた精鋭が基隆に上陸し
形勢は一変して掃蕩戦が始まり、手向かうものは
一切、見境なく銃弾を浴びせられた。
そればかりでなく、事件を収拾するために組織された
2.28処理委員会のメンバーたちは、拘引されて
大半が行方不明になってしまった。その場で銃殺
されたものもあれば、死体に針金を通して重石をつけて
淡水河に投げ込まれた。
この時、殺された台湾人は5千人とも一万人とも
いわれ、これだけの犠牲者が出ると言うことは狭い
台湾で身内の誰かに必ず死者や、牢獄に入っている
者がいると言うことであり、この事件を契機として
本省人を呼ばれる台湾の人と、外省人と呼ばれる
戦後、大陸から渡ってきた人の間に深い溝ができ
この溝を埋めるのに以後、何十年という歳月を
必要とした。』
これは メッセージ 70137 (minnnasugoi さん)への返信です.
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