孔子の子孫 NO5
投稿者: minnnasugoi 投稿日時: 2006/02/22 22:04 投稿番号: [69730 / 95793]
孔子第75代直系子孫、孔健氏の「日本との戦争は避けられない」
からの抜粋、NO5
○すべては「大躍進」「文化大革命」からはじまった(続き)
・しかし、毛沢東は懲りなかった。彼は新たに文化大革命
を発動した。「社会主義国家をおびやかす階級の敵
は内部にもいる。反動派を粉砕し、文化大革命を
勝利するまでやめてはならない」と人々を”批判
闘争”に駆り立てた。いたる所で内部からの密告や
摘発が行われた。
さらに72年から「知識青年の下放」を行い始めた。
最初は大学生であったが、下放の動きは高校生や
中学生まで拡大した。この指示は、当時、毛沢東思想
の先兵となっていた「紅衛兵」により実行され、どの
家庭も跡継ぎの一人を残して、あとは地方に行かなければ
ならなかった。かくして数千万の青年が農村や漁村に
行かされた。
・下放青年たちは、信じがたいほどの辛酸をなめた。
過酷な労働と、毎日200グラムの食事。トウモロコシ
の粉に小麦粉を少しだけ入れ、ベーキングパウダー
なしで焼いた硬い饅頭などの貧しい食事である。
なにをやってよいかわからず、途方にくれている
女性には、村長や村の有力者が、親切顔で接近し
手込めにしたりした。
私自身は長男だったので下放をまぬがれた。しかし
弟が下放に行かなければならなかった。彼は青島
郊外の漁村に二年間やられた。もちろん漁を
したことなど一度もない。弟は17歳の高校生。
たまの休みに帰ってくる彼は、やせこけ、涙
ながらに、漁村の暮らしの辛さを聞かせた。
「冬の海の漁が、どんなに厳しいか、兄さんには
わかりっこない」と、泣きながら語ったのを、
今でも忘れない。
日本でも戦争中に同様の事が起こったという話
を、聞いた事がある。
もちろん、こうした話は、私の弟だけではない。
身のまわりの、どの家庭にもおこっていた。
文革ー下放は、多くの青年の青春や自由を奪い
死んでいった人は1000万人ともいわれている。
この数字のすさまじさは、日本人には想像も
できないだろう。
・文革がもたらしらものは「政府への不信感」
「教育・知識の欠如」である。私は運がよかった。
下放に行かず、山東大学で勉強でき、中国画報社
に就職でき、日本にもこれた。青島に帰り、同窓会
などで「孔健さん、あんたは幸せだ。大学を出て
日本で活躍している。ところが我々下放された者
はどうだ。学歴がないから、いい職場に入れないし
やっと就職できたとしても、まっさきに解雇
される。」というボヤキである。
中国は、日本以上の学歴社会である。今では
大学卒の履歴であっても、一流国営企業や
会社への就職も難しくなっている。おかげで
私の同窓生の半数は、退職者や失業者なのである。
彼らは口を揃えて「すべて下放のせいだ」と
非難する。国と社会に不満を持つ彼らは
いわば”第一次憤青”である。
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min評
懲りない毛沢東、メンツ優先
からの抜粋、NO5
○すべては「大躍進」「文化大革命」からはじまった(続き)
・しかし、毛沢東は懲りなかった。彼は新たに文化大革命
を発動した。「社会主義国家をおびやかす階級の敵
は内部にもいる。反動派を粉砕し、文化大革命を
勝利するまでやめてはならない」と人々を”批判
闘争”に駆り立てた。いたる所で内部からの密告や
摘発が行われた。
さらに72年から「知識青年の下放」を行い始めた。
最初は大学生であったが、下放の動きは高校生や
中学生まで拡大した。この指示は、当時、毛沢東思想
の先兵となっていた「紅衛兵」により実行され、どの
家庭も跡継ぎの一人を残して、あとは地方に行かなければ
ならなかった。かくして数千万の青年が農村や漁村に
行かされた。
・下放青年たちは、信じがたいほどの辛酸をなめた。
過酷な労働と、毎日200グラムの食事。トウモロコシ
の粉に小麦粉を少しだけ入れ、ベーキングパウダー
なしで焼いた硬い饅頭などの貧しい食事である。
なにをやってよいかわからず、途方にくれている
女性には、村長や村の有力者が、親切顔で接近し
手込めにしたりした。
私自身は長男だったので下放をまぬがれた。しかし
弟が下放に行かなければならなかった。彼は青島
郊外の漁村に二年間やられた。もちろん漁を
したことなど一度もない。弟は17歳の高校生。
たまの休みに帰ってくる彼は、やせこけ、涙
ながらに、漁村の暮らしの辛さを聞かせた。
「冬の海の漁が、どんなに厳しいか、兄さんには
わかりっこない」と、泣きながら語ったのを、
今でも忘れない。
日本でも戦争中に同様の事が起こったという話
を、聞いた事がある。
もちろん、こうした話は、私の弟だけではない。
身のまわりの、どの家庭にもおこっていた。
文革ー下放は、多くの青年の青春や自由を奪い
死んでいった人は1000万人ともいわれている。
この数字のすさまじさは、日本人には想像も
できないだろう。
・文革がもたらしらものは「政府への不信感」
「教育・知識の欠如」である。私は運がよかった。
下放に行かず、山東大学で勉強でき、中国画報社
に就職でき、日本にもこれた。青島に帰り、同窓会
などで「孔健さん、あんたは幸せだ。大学を出て
日本で活躍している。ところが我々下放された者
はどうだ。学歴がないから、いい職場に入れないし
やっと就職できたとしても、まっさきに解雇
される。」というボヤキである。
中国は、日本以上の学歴社会である。今では
大学卒の履歴であっても、一流国営企業や
会社への就職も難しくなっている。おかげで
私の同窓生の半数は、退職者や失業者なのである。
彼らは口を揃えて「すべて下放のせいだ」と
非難する。国と社会に不満を持つ彼らは
いわば”第一次憤青”である。
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min評
懲りない毛沢東、メンツ優先
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