中国の反日デモ

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孔子の子孫 NO3

投稿者: minnnasugoi 投稿日時: 2006/02/20 21:15 投稿番号: [69540 / 95793]
孔子第75代直系子孫、孔健氏の「日本との戦争は避けられない」
からの抜粋、NO3

○   反日デモは、胡錦濤国家主席にとっても衝撃だった
  ・2005年4月9日の北京の反日デモは、日本人に
   大きな衝撃を与えた。
   しかしこのデモが、じつは中国の胡錦濤国家主席にとっても
   予想外だった、ということはあまり知られていない。
   その様子を、ニューズウィーク誌などの報道資料や
   現地情報を総合して、私なりに再現してみよう。

  ・4月9日の夜、地方視察で山東省煙台市の迎賓館にいる
   胡錦濤のもとに、北京の側近から定例の報告電話が入った。

   「総書記、本日、北京で反日デモが発生しました」
   「なに!規模と被害は?」
   「たいしたことはありません。日本大使館のガラスなどが
   割られましたが、規模はせいぜい数千人。無秩序な群集
   が大使館や日本店に石をなげたりしましたが。公安
   警察の規制により、夜には収まっています」
   胡錦濤に強い衝撃が走った。
   「馬鹿者。なぜ、ただちに報告しない。各地に波及
   したらどうするのだ」
   「おそらく、だいじょうぶだと・・・・
    たいしたことはないと思いましので」

  ・ーーやはり恐れていた事態が起こったか。
   胡錦濤は2005年に入って、大きな不安に包まれていた。
   4月は大きな政変が起きやすいからだ。

   過去、中国はふたつの天安門事件で大きく揺れている。
   1978年の第一次天安門事件と1989年の第二次
   天安門事件であるが、いずれも同じ4月に起きている。
   第三次天安門事件が起きれば、順調なスタートを切っている
   胡錦濤体制に大きなひびか入りかねない。

  ・いずれも民衆による自発的な旧指導者の追悼集会という形
   をとりながら、その実体は、政府への激しい抗議行動で
   あったからだ。

   第一次天安門事件ーーー周恩来(4月5日没)の追悼集会
   第二次天安門事件ーーー胡耀邦(4月15日没)の追悼集会
   中国では、4月に追悼集会が行われれば、全国に波及しやすい
   事情がある。4月には「清明節」が行われるからだ。
   清明節とは、日本のお盆やお彼岸のようなもの。
   中国でも先祖や故人の霊をしのぶ国家的行事なのである。

  ・では2005年には「国民のために尽くし、亡くなった政治家」
   がいたのだろうか。
   同年1月17日亡くなった趙紫陽元首相である。

   趙は農業生産を飛躍的に向上させた。これは、文革で食えない
   状態になっていた民衆にとって朗報だった。この実績を当トウ
   小平に認められ、胡耀邦とともに活躍した。しかし趙は
   「もっと学生・市民の意見を聞くべき」と民主・自由化を
   進め、そのため、永い間、自宅軟禁下に置かれた。

   その趙紫陽が死んだのである。
   これは、中国の「民主・自由」や「格差是正」を求めて
   反体制・反社会的動きを強める憤青にとって、第三次
   天安門事件を起こす絶好のチャンスである。

  ・そのことを予期した胡錦濤政権は、年初以来、公安警察
   を中心に、趙紫陽追悼の動きの芽を摘み取ってきた。
   だが、思いがけない落とし穴があった

  ・「趙紫陽追悼」ではなく、「反日」という変化球を
   投げてきた。「趙追悼」で行動を起こせば、「暴乱」
   と決め付けられ、過去二回の例が示しているように
   血の弾圧が待っている。しかし「反日」ならどうだろう。
   これは立派な愛国行動ではないか。「愛国無罪」を主張すれば
   当局も弾圧しにくい。しかも彼らは従来のビラや演説で動員
   するのでなく、ネットを使い巧妙に街頭デモを組織した。
   反日デモは結果的に大爆発してしまった。
 
  ・「憤青め!」
   胡錦濤は吐き出すようにつぶやいた。
   この仕業が「憤青」によるものだということを、胡錦濤は、
   はっきりと理解していた。彼はもともと、共産党の下部青年
   組織の指導者である。青年たちの不満が高まり、「反体制化」
   や「悪劣化、反社会化、不良化」している危険性を痛いほど
   感じていた。

   −−これを放置しておけば、たいへんなことになる
   こう思った胡錦濤は、予定をすべてキャンセルして
   直ちに北京に戻り、最高会議を招集した。
   そして、胡の不安どおり、反日デモは翌日から、
   中国全土に拡大していった。
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