第一次世界大戦<中国のドジ>5・4運動
投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/02/09 14:01 投稿番号: [68710 / 95793]
5・4運動
1919年に起きた中国の学生らによる反日愛国運動で、中国の民族主義運動のさきがけ。日本は第一次世界大戦中に山東省に出兵、ドイツが持っていた同省の権益付与などを求める21カ条要求を15年、中国に受諾させた。大戦後の19年のパリ講和会議で、中国はドイツ権益の返還を要求したが、日本や欧米は拒否。同年5月4日、これに憤慨する北京の大学生らが21カ条破棄や親日派高官罷免、日本製品排斥を叫んでデモ行進。運動はストライキなどの形で全国に拡大、中国政府は6月に高官3人を罷免、講和条約の調印拒否発表に追い込まれた
1918年(大正7)11月11日、第1次世界大戦はドイツの敗北でおわった。翌年1月18日からパリで講和会議が開かれ、日本からは主席全権西園寺公望、牧野伸顕、珍田捨己らが代表団として出席。赤道以北のドイツ植民地の割譲、山東省のドイツ利権の譲渡、
人種差別撤廃を要求にかかげた。
赤道以北のドイツ植民地は割譲ではなく委任統治となり、山東省利権問題についてはかなりもめたが、利権譲渡はみとめられ、この条款部分ようなかたちで決着がはかられた。中国では五・四運動がおこり、6月28日のベルサイユ条約調印式には中国全権は出席しなかった。
なお人種差別撤廃は否決された。
この人種差別撤廃は、欧米の帝国主義諸国には嫌われものでした。
最も嫌ったのは、東南アジアでこの白人宗主国植民地で中間管理職として暴利を貪っていた架橋の連中でした。
5.4運動の資金は、この東南アジア散在の帝国主義白人手先の架橋の資金によって起こされたものです。まあ、中国国内中国人にとっては大きなチャンスの消失でしょうね。
土台、政治的運動などは、どこからからの資金援助が必要とする金のかかるものなのです。成田空港反対派運動の最初の資金援助は戦略インフラとしての空港建設阻止のソ連からで、今は、千葉沖に埋め立て人工島飛行場建設30兆円のぼろ儲けの投資としてのアメリカのベクテル政商が資金提供をして揉ましているだけなのです。
これは メッセージ 68707 (kubotakaaki2005 さん)への返信です.
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