中国の反日デモ

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中国覇権主義大謀略事件ナンキン。その1

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2005/12/22 11:48 投稿番号: [65684 / 95793]
南京事件の要点
「南京大虐殺」は果たしてあったのか?
1)   120人の特派員が誰ひとり目撃していない   南京は近郊まで含めて40平方キロ、東京・世田谷区よりも狭い都市である。
12月13日の陥落と同時に入城した新聞・雑誌社の特派員やカメラマン
(外人記者5人を含む)は約120人もいた。
そのほか占領直後に入城した大宅壮一、西條八十、草野心平、小林秀雄、石川達三、林芙美子といった著名は評論家、詩人、作家など10数名が取材に当たっているが誰一人として死体の山も血の河も集団殺人場面も見ていない。
  現在の教科書では「国民には知らされなかった」とあるが、当時の軍も政府も箝口令(カンコウレイ)などひいてはいない。記事も写真も自由だった。
2)   あまりにも平和的な南京占領後の朝日記事
  南京に入った新聞社各紙は占領後の模様を本国に報道したが、特に、朝日新聞は日本軍占領下の南京の情景を占領5日後の12月17日から1ヵ月間にかけて5回にわたり半ページ大に4枚の組写真にして刻明に報道している。   そのテーマは「平和甦る南京」「きのうの敵に温情」「南京は微笑む」「手を握りあって越年」「南京復興の足どり」と平和そのものの報道である。この写真が虚構というなら、「朝日」はこの時代からウソをデッチ上げる常習犯だったのか。
3)   国民党も共産党も全く知らなかった大虐殺   言うまでもなく、当時日本軍と戦ったのは、蒋介石率いる国民党政府とその軍隊である。
この軍司令官兼軍事委員長の何応欽(カオウウキン)上将がまとめた軍事報告書がるがこれは実に詳細を極めており、南京戦での死傷者は将校・下士官兵に分けて10の単位まで些細に戦闘状況を記録した第一級の公的史料である。
  しかしここでは、「(12月)12日…ついに南京放棄を下命した。
敵は13日我が南京城を占領した」と報告があるだけで、虐殺やそれを匂わす記述は一切ない。   では、当時の中共軍や中国共産党の記録はどうか。
当時の中共の『軍事雑誌』1938年6月20日刊行第109に初めて南京の戦闘記録がでてくるが、こでは、蒋介石や何応欽が部下を置き去りにして南京を放棄したことを非難しているだけ。   もし大虐殺が行われていたら、これこそ絶好の抗日宣伝の材料として戦闘を煽ったであろうが、南京虐殺にはなにも触れていない。つまり中国側の国民党も共産党も南京大虐殺なるものを全く知らなかったのである。
4)   日本の「美挙」に感謝した国際委員会   馬報俊・南京市長は陥落直前の12月1日、全市民に市中央に設けられた「国際安全区」に避難するよう命令した。ここを管轄したのは、米・英・独人など15名が組織する「国際委員会」である。   南京占領後、日本軍はこの安全区に歩哨をたて手厚く保護した。安全区内では砲爆撃も火災もなく、20万市民は全員安全であった。このことに対して、国際委員会のラーベ委員長は次のような感謝の書簡を日本軍に送っている。「拝啓   私共は貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対してまた同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります。」
5)   人権にうるさい欧米各国は虐殺を黙殺したのか   人権にやかましい欧米の政府やマスコミが、何10万の大虐殺を見逃すはずがない。当時、国際連盟は「対支援助小委員会」までつくり日本の軍事行動を監視したが当時、南京・広東等の戦闘で、日本軍が絨毯爆撃をしたと非難決議したが南京虐殺事件などは話題にものぼっていない。わずか2人の記者が日本軍の暴行を記事にしたが、各国の大新聞が南京でおこったはずの「大虐殺」を報じ、非難した形跡が全く残されていないのはどういうわけであろうか。
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