Re: 戦後の日本経済は、欧米企業の下請部品
投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2005/11/20 18:14 投稿番号: [64111 / 95793]
何かその説の根拠・実例を示していただけませんか。
こんな実例もありますが。
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4. 80年代のQC運動―日本の血の導入
HP社の日本での共同事業は1963年の横河電機とのジョイント・ベンチャーが始まりです。後に日本ヒューレット・パッカードとなった横河ヒューレット・パッカード(YHP)です。パッカード氏は、その著書で、"当時、日本の製造技術や管理手法は米国より遅れていたため、事業を始めるとき、成功のためには横河のやりかたではなく、われわれのやりかたで管理する必要があると結論づけた。日本側も同意したため、設立当初、YHPはHPの管理者が運営した。"と記述しています。
その後、数年間のYHPの成績はいつも中程度で、故障率や保障コストは、とくに高くも低くもなかったと言います。さらに、その状態が数年続いた後、YHPの若き代表であった笹岡健三氏が、「私にYHPを運営させてもらえませんか。今は、あなたがたが送ったアメリカ人管理者が監督をしています。われわれのほうがうまくやれると思います。」と言って、ヒューレット氏とパッカード氏に詰め寄ったそうです。両氏は、「それでは自分で運営してみなさい。それで様子を見よう」となったのです。1970年代の中頃のことです。
その結果は驚くもので、YHPの成長が加速し、YHP製品の故障率は、ほかのどの部門よりもはるかに低かったのです。その一例をパッカード氏は次のように述べています。
"それまでHPでは、プリント基板を社内のさまざまな部門で作っていた。故障率は千個あたり約四個だった。これは0.5%弱にあたり、かなりいい数値だと思っていた。この数値を達成している企業は、ほかにも多かった。一方、日本部門のプリント基板の故障率は、なんと百万個あたり十個にすぎない。それまでのHPの四百倍の成績である。このことがHPの多くの人を奮い立たせ、考え方が大きく変わったことは間違いない。われわれの品質目標が達成できる限界からほど遠かったことが、はっきりと証明されたのである。YHPの考え方や仕事の進め方は、すぐ社内全体に取り入れられた。"
http://chalaza.net/Topic/Agilent.html より抜粋
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これは メッセージ 64108 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.
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