>謝罪、謝罪と言うけれど
投稿者: super_surume 投稿日時: 2005/08/12 21:15 投稿番号: [57825 / 95793]
> 謝罪、謝罪と言うけれど中国自身が謝罪の仕方を示すべき。
てか、自分らがやったことでもないのだから、罪悪感なんて、皆無だ。反省など、したくてもできない。生まれてこのかた、悪いなどと思ったことすらない。
さっきTBSで日航機墜落事故の「ボイスレコーダー」という番組をやっていた。事故直後、機長の言葉として「これはだめかもしれないな」「どーんといこうや」というのが新聞に掲載されて、遺族や大衆から批判をあびた。機長として、不謹慎ではないかと。
が、年月がたち、その生の声であるボイスレコーダーがメディアに暴露された。周知の言葉だ。が、その声は、機長や副機長の必死な様子がにじんでいて、かつて批判されたような、無責任なものではなかった。
何がいいたいかというと、同じ言葉でも、活字でみたものと、生の声で聞くのとでも、こんなに違うということ。
いわんや、自分らが起こしたものでもない六十年も前の事実など、いくら自称オーソリティの学者が必死こいたところで、どうやって真実にちかづけるというのか?
戦争のせの字もしらない、俺たちに、本当のことなど理解できるわけがない。
人間が真から反省できるためにはそれなりの理解が必要なわけだが、そもそも理解が不可能な以上、反省など、とうていできないのだ。
杉並区では「つくる会」の教科書の採用が決まったようだが、素直に嬉しい。
俺たちは、子供のころから、日本は悪い悪いと言われて育ってきた。国を愛するとか、国のために働くことが、よくないようにインプットされてきた。
しかし、国を愛することのどこがいけないのだ。国を守った人たちに感謝することの、どこがまちがっているのだ。
これからの子供にそんな、誤解をあたえてはいけない。
これは メッセージ 57822 (yajiuma_kitinosuke さん)への返信です.
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