都合でやってはいけません
投稿者: soutennsyoubu1010 投稿日時: 2005/07/01 07:54 投稿番号: [52111 / 95793]
おはようございます。
そうですね、でたらめを教えられるほうはたまったもんじゃありません。
中国ではなく韓国ですが、
またしても、自国民洗脳と優越感を満たすために、
おかしな本を出したようですよ。
『韓国サッカーの英雄たち』で韓日W杯誘致秘話紹介
「2002年ワールドカップの韓国単独開催は可能だった!」
9年間にわたって封印されてきた2002年韓日ワールドカップ誘致秘話が公開された。
大韓サッカー協会は30日、金容植(キム・ヨンシク)、ホン・ドクヨン、キム・ファジプ、鄭夢準(チョン・モンジュン)、ヒディング、李会沢(イ・フェテク)、車範根(チャ・ボムグン)といった「サッカー名誉の殿堂」に最初に掲げられた7人の“不滅のスター"の伝記を出版した。
本の名前は、『韓国サッカーの英雄たち』(Korea Football Hall of Fame/ランダムハウス出版)。
なかでも、鄭夢準・大韓サッカー協会会長(54)は同書で、これまで固く閉ざされてきたワールドカップ誘致の際の秘話を紹介した。
小説家の金正産(キム・ジョンサン)氏が執筆した鄭会長の逸話には、次のような一節がある。
「後に判明したことだが、その当時日本は13対8で自分たちが優勢だと考えていた。そのような自信を持っていたため、共同開催案を一蹴し単独開催をかたくなに主張し続けた。(中略)1996年4月11日、最後の投票依頼のためメキシコを経てヨーロッパ各国を歴訪した時、むしろ13対8で韓国が優勢だという結論を得た…」
96年6月1日の開催地決定投票を前に国内に広がっていた悲観論とは異なり、韓国の勝利が確定していたという。
結局、当時FIFA(国際サッカー連盟)会長だったアベランゼ氏の要請を受け入れて共同開催に合意したが、もし表決を行ったならば、21世紀最初のワールドカップ開催国は韓国だったのだ。
このほか、ソウルワールドカップ競技場を建設する過程での逸話や、アベランゼ元会長との談判、そして父であった故鄭周永(チョン・ジュヨン)会長との関係話など、今まで公開されてこなかった内容が紹介された。
“褐色爆撃機"こと車範根・水原三星(スウォン・サムソン)監督(52)は、自分のサッカー人生について自ら執筆した。車範根監督が最初に書いた自叙伝となる。
同書で車範根監督は、「韓国でサッカーをする人々にとって、わたしはいつも『越えたい山』だった。選手生活の間、常にそのことを負担に感じた。だからドイツでの生活が楽だったのかも知れない。しかし、今はわたしを越えようとしている彼らに、自分から背中を曲げて超えさせてあげたいと思っている」と述べた。
『スポーツ朝鮮』
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/30/20050630000068.html
そうですね、でたらめを教えられるほうはたまったもんじゃありません。
中国ではなく韓国ですが、
またしても、自国民洗脳と優越感を満たすために、
おかしな本を出したようですよ。
『韓国サッカーの英雄たち』で韓日W杯誘致秘話紹介
「2002年ワールドカップの韓国単独開催は可能だった!」
9年間にわたって封印されてきた2002年韓日ワールドカップ誘致秘話が公開された。
大韓サッカー協会は30日、金容植(キム・ヨンシク)、ホン・ドクヨン、キム・ファジプ、鄭夢準(チョン・モンジュン)、ヒディング、李会沢(イ・フェテク)、車範根(チャ・ボムグン)といった「サッカー名誉の殿堂」に最初に掲げられた7人の“不滅のスター"の伝記を出版した。
本の名前は、『韓国サッカーの英雄たち』(Korea Football Hall of Fame/ランダムハウス出版)。
なかでも、鄭夢準・大韓サッカー協会会長(54)は同書で、これまで固く閉ざされてきたワールドカップ誘致の際の秘話を紹介した。
小説家の金正産(キム・ジョンサン)氏が執筆した鄭会長の逸話には、次のような一節がある。
「後に判明したことだが、その当時日本は13対8で自分たちが優勢だと考えていた。そのような自信を持っていたため、共同開催案を一蹴し単独開催をかたくなに主張し続けた。(中略)1996年4月11日、最後の投票依頼のためメキシコを経てヨーロッパ各国を歴訪した時、むしろ13対8で韓国が優勢だという結論を得た…」
96年6月1日の開催地決定投票を前に国内に広がっていた悲観論とは異なり、韓国の勝利が確定していたという。
結局、当時FIFA(国際サッカー連盟)会長だったアベランゼ氏の要請を受け入れて共同開催に合意したが、もし表決を行ったならば、21世紀最初のワールドカップ開催国は韓国だったのだ。
このほか、ソウルワールドカップ競技場を建設する過程での逸話や、アベランゼ元会長との談判、そして父であった故鄭周永(チョン・ジュヨン)会長との関係話など、今まで公開されてこなかった内容が紹介された。
“褐色爆撃機"こと車範根・水原三星(スウォン・サムソン)監督(52)は、自分のサッカー人生について自ら執筆した。車範根監督が最初に書いた自叙伝となる。
同書で車範根監督は、「韓国でサッカーをする人々にとって、わたしはいつも『越えたい山』だった。選手生活の間、常にそのことを負担に感じた。だからドイツでの生活が楽だったのかも知れない。しかし、今はわたしを越えようとしている彼らに、自分から背中を曲げて超えさせてあげたいと思っている」と述べた。
『スポーツ朝鮮』
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/30/20050630000068.html
これは メッセージ 52110 (sakurasaita321 さん)への返信です.
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