普通の国民感情からすれば・・・
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/06/14 21:33 投稿番号: [48001 / 95793]
そこで公式参拝の是非を問う前に、遡ってその前提となっているA級戦犯合祀の適否を、純粋に日本国民の立場から考えてみよう。靖国神社は、国のため戦陣に散った人々を顕彰する目的で創建されたものであり、いくら偉くても戦死者でない乃木大将や東郷元帥は祭られていない。
また、お参りしている人々の胸の中に、もっと生きることができたはずの戦友や身近な人に寄せる鎮魂の思い切なるものがあることも容易に察しがつく。
我が国では「よくやった」という気持ちを表すのに、やや持ち上げ気味に"銅像が建つ"とか"神と祭られ"と言うことがあるが、神と祭られるという日本文化特有の表現部分を除けば、靖国神社という顕彰形式には、外国の無名戦士の墓(碑)に相通ずる部分多々見受けられる。A級戦犯の合祀は、このような素朴な感じで捉えてみて、果たして納得がいくだろうか。
その上、国家指導者としての功罪いかんともなれば、邦家の隆替に深くかかわりながらその責めを全うし得なかったという結果は歴然としており、「罪、萬死に値す」として自ら死を選んだ古武士的風格の士のあることも思い合わせると、将来とても国民一般の評価がプラスに転ずることはなさそうに思われる。
そうなると戦死の解釈を広げて合祀を正当化する根拠は益々乏しくなるのではないか
http://www.yorozubp.com/0107/010731.htm要するに、戦争被害者と言っても、一部の殉難者のご家族の思いは別にして、一般的な国民の感情からすると、爆弾を抱え敵艦に突入した戦士の銅像は立てられるが、刑死された方々の銅像は建てづらかろうと言う事。
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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