人種差別戦争だった
投稿者: npo23122000 投稿日時: 2005/06/08 10:43 投稿番号: [45661 / 95793]
二十世紀のとらえ方は人によってさまざまです。科学文明が急速に
発達し、それが必ずしも人々の幸福につながらず、大量殺人をともなう
戦争という悲劇を起こした世紀だともいえますし、欧米列強の支配から、
米ソ冷戦時代をへて、アメリカ一国支配体制が出来上がった世紀という
見方もあります。しかし、、多くの人が見逃しているのは、日本が二十世紀に
果たした大きな役割です。
二十世紀は、ながらく続いた白人支配の構図がくずれ、白人種による有色人種
への差別が払拭され、人類は平等だという概念が確立した世紀でした。
このきっかけをつくったのがほかならぬ日本です。
1902年、イギリスは「光栄ある独立」政策を破り、日英同盟を結びます。
この同盟は、有色人種と白人種が対等の立場で結んだはじめての軍事同盟
でした。
この背景には、南進を意図するロシアに対する牽制の意味があったのは、
前述したとおりですが、白人優位の世界観が当然だった時代に、当時の白人種
の超大国イギリスがアジアの新興国である日本と対等な軍事同盟を結んだのは、
歴史的な事件でした。
なぜ、あれほどまでに見下していた有色人種とイギリスが対等の立場で軍事同盟
を結んだのか。そこにあったのは、われわれの先達たちの毅然とした態度です。
二十世紀のはじめ、中国で義和団事件が起こり、中国に関わる各国が鎮圧に出兵
します。この時、日本からは、柴五郎中佐率いる部隊が派遣され、少人数ながら
欧米列強の国々の軍隊に勝る戦いぶりを示します。
その後、日本の第五師団が入り、北京を解放しますが、ここでも日本兵たちの態度は
立派でした。
ロシア兵などの中には略奪に血道を上げる者が少なくなかったのに対して、
日本兵は略奪行為をまったく行わなかった。当時、北京はイギリス占領区、
ロシア占領区、日本占領区などに色分けされていましたが、日本占領区は断然
治安がよく、中国の人々も自分の家の前に日本国の国旗を立てていたほです。
日本軍は規律正しくふるまい、現地の人々にはまったく危害を加えずさっと引き上げ
ます。この態度が、イギリス本国にもレポートとして報告され、多くのイギリス人に
感銘を与え、「有色人種は信用ならないが、日本人は別格だ」となり、日英同盟の
締結へと進んだのです。
実は、この有色人種差別と数世紀に渡る西洋のアジア・アフリカ支配が東京裁判を
読み解く最大のカギでもあります。なぜ、違法な裁判を開いてまで日本を侵略国と
して決め付けつけなければならなかったのか。
それは、日本を侵略国としてスケープゴートにすることによって、西洋のアジア支配が
正当化され、帳消しになるからです。今、アジアの国々でも大東亜戦争当時を知らない
世代がほとんどです。
たとえば、お隣の中国では、歴史といえば毛沢東以降のことで、
満州国での日本軍のふるまいがどうであったか、中国に駐屯した日本兵の態度は
どうだったかなど実際に見た人はほとんどいなくなり、だだ侵略国日本のイメージだけが
先行し、あたかも悪鬼のごとき日本人の印象が伝えられています。
ほかのアジアの国々も似たような状況にあり、日本が果たした役割、大東亜戦争以前の
欧米の植民地支配による蹂躙は、歴史の彼方に忘れ去れようとしています。
ひるがえって日本の若い人々。今、みなさんに刷り込まれている戦中の歴史は、
根底からゆがめられています。そのため日本人も、侵略国だという歴史を信じ、
アジアの人々の誤解にも首を縦に振ります。
まさに連合国が意図した東京裁判の最大の目的が完遂されようとしています。
オランダ代表判事レーリングは著書でこう述べています。
「日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、
、
その四半世紀もたたないうちに、1960年に国連が植民地を保有することを
不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として
規定すらした。国連総会は民族自決のための闘争を奨励し、”自由の戦士”を
合法化して、国連加盟国に支援するように求めた。」
「戦後 歴史の事実 」 前野 徹著 より
発達し、それが必ずしも人々の幸福につながらず、大量殺人をともなう
戦争という悲劇を起こした世紀だともいえますし、欧米列強の支配から、
米ソ冷戦時代をへて、アメリカ一国支配体制が出来上がった世紀という
見方もあります。しかし、、多くの人が見逃しているのは、日本が二十世紀に
果たした大きな役割です。
二十世紀は、ながらく続いた白人支配の構図がくずれ、白人種による有色人種
への差別が払拭され、人類は平等だという概念が確立した世紀でした。
このきっかけをつくったのがほかならぬ日本です。
1902年、イギリスは「光栄ある独立」政策を破り、日英同盟を結びます。
この同盟は、有色人種と白人種が対等の立場で結んだはじめての軍事同盟
でした。
この背景には、南進を意図するロシアに対する牽制の意味があったのは、
前述したとおりですが、白人優位の世界観が当然だった時代に、当時の白人種
の超大国イギリスがアジアの新興国である日本と対等な軍事同盟を結んだのは、
歴史的な事件でした。
なぜ、あれほどまでに見下していた有色人種とイギリスが対等の立場で軍事同盟
を結んだのか。そこにあったのは、われわれの先達たちの毅然とした態度です。
二十世紀のはじめ、中国で義和団事件が起こり、中国に関わる各国が鎮圧に出兵
します。この時、日本からは、柴五郎中佐率いる部隊が派遣され、少人数ながら
欧米列強の国々の軍隊に勝る戦いぶりを示します。
その後、日本の第五師団が入り、北京を解放しますが、ここでも日本兵たちの態度は
立派でした。
ロシア兵などの中には略奪に血道を上げる者が少なくなかったのに対して、
日本兵は略奪行為をまったく行わなかった。当時、北京はイギリス占領区、
ロシア占領区、日本占領区などに色分けされていましたが、日本占領区は断然
治安がよく、中国の人々も自分の家の前に日本国の国旗を立てていたほです。
日本軍は規律正しくふるまい、現地の人々にはまったく危害を加えずさっと引き上げ
ます。この態度が、イギリス本国にもレポートとして報告され、多くのイギリス人に
感銘を与え、「有色人種は信用ならないが、日本人は別格だ」となり、日英同盟の
締結へと進んだのです。
実は、この有色人種差別と数世紀に渡る西洋のアジア・アフリカ支配が東京裁判を
読み解く最大のカギでもあります。なぜ、違法な裁判を開いてまで日本を侵略国と
して決め付けつけなければならなかったのか。
それは、日本を侵略国としてスケープゴートにすることによって、西洋のアジア支配が
正当化され、帳消しになるからです。今、アジアの国々でも大東亜戦争当時を知らない
世代がほとんどです。
たとえば、お隣の中国では、歴史といえば毛沢東以降のことで、
満州国での日本軍のふるまいがどうであったか、中国に駐屯した日本兵の態度は
どうだったかなど実際に見た人はほとんどいなくなり、だだ侵略国日本のイメージだけが
先行し、あたかも悪鬼のごとき日本人の印象が伝えられています。
ほかのアジアの国々も似たような状況にあり、日本が果たした役割、大東亜戦争以前の
欧米の植民地支配による蹂躙は、歴史の彼方に忘れ去れようとしています。
ひるがえって日本の若い人々。今、みなさんに刷り込まれている戦中の歴史は、
根底からゆがめられています。そのため日本人も、侵略国だという歴史を信じ、
アジアの人々の誤解にも首を縦に振ります。
まさに連合国が意図した東京裁判の最大の目的が完遂されようとしています。
オランダ代表判事レーリングは著書でこう述べています。
「日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、
、
その四半世紀もたたないうちに、1960年に国連が植民地を保有することを
不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として
規定すらした。国連総会は民族自決のための闘争を奨励し、”自由の戦士”を
合法化して、国連加盟国に支援するように求めた。」
「戦後 歴史の事実 」 前野 徹著 より
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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