判決は裁判の前から決まっていた
投稿者: npo23122000 投稿日時: 2005/05/24 19:59 投稿番号: [39435 / 95793]
国際法を無視した無効裁判
■判決は裁判の前から決まっていた
そもそもこの裁判は、最初から違法でした。オーストラリアのウエッブ裁判長と
フイリピンのジャラニ判事は法廷に持ち出された事件に、前もって関与していたので
判事としては不適格でしたし、協定用語(法定での公用語)である英語と日本語が
ともに理解できないソ連のザアリヤノフ判事とフランスのベルナール判事も適切な
判事ではありませんでした。ましてや中国の梅汝敖判事は、本来裁判官ではなく、論外です。
裁判中の判事たちのふるまいも対照的でした。他の判事が観光旅行や宴会にうつつを
抜かしている間も、博士は、ホテルに閉じこもり、調査と執筆に専念していました。
裁判の間に博士が読破した資料は4万5千部、参考図書は3千部に及んだといいます。
しかも驚くべきことに、裁判を開く前に判決は決まっていたという事実が後に判明しました。
博士が、後にご子息、プロサント氏に「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ
決めている多数意見を称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実が
あったことを極秘にするために、誓約書への署名を強要された」と語り残しています。
博士はこのようなプレッシャーの中、断固として同調を拒否し続けたのでした。
博士の毅然とした態度は、占領軍、ひいてはアメリカ本国の誤算でした。
昭和21年の春、マッカーサー司令部は、すでに発布していていたチャーター
(極東国際軍事裁判条例)を改訂して、すでに任命している連合国9ケ国の
判事団に加え、当時は欧米列強の統治下であったフィリピンとインドから判事を
招聘することにを決め、英国政府を通じて、インド人の判事の選考を求めました。
選考の結果、選ばれたのがすでに世界の国際法学会で議長団のひとりとして
活躍していた国際法の学者、パール博士です。
なぜ、すでに決定していた判事段にフィリピンとインドの判事をあらたに加えようと
したのか、この駆け込みの変更も、東京裁判の性格を雄弁に物語っています。
当初選ばれた判事団には、アジアからは中国1ケ国だけしか入っていなかったからです。
あらたにアジア2ケ国(それも当時は完全な独立国ではありません)の判事を参加
させることによって、アジアの多くの国が日本を罪悪視しているという印象を演出
しようとしたのです。
とこらが、マッカーサー司令部の意に反して、高潔な法律家であった博士は、
「法の真理」に準じ、最後まで公正な判決をつらぬき通しました。
博士は、「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争を
したことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を
数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」と論じ「この裁判は文明国の法律に
含まれている貴い諸原則を完全に無視した不法行為」であると宣言しました。
仮に、東京裁判が名目通り「平和に対する罪」を裁く裁判だとしたら、世界の
いかなる国に対しても公正に国際法が適用してしかるべきです。裁くものは
戦勝国民で、裁かれるものは戦敗国民などということがあってはならないはずです。
戦争に勝った者が正しく、戦争に負けたものが正しくないなどという理屈は
天地がひっくり返っても通らないからです。
英文にして1,275ページ、日本語にして百万語に及ぶ博士の意見書の
末尾には、こう書かれています。
「ただ勝者であるという理由だけで、敗者を裁くことはできない」
「戦後の 歴史の真実」 前野徹著
■判決は裁判の前から決まっていた
そもそもこの裁判は、最初から違法でした。オーストラリアのウエッブ裁判長と
フイリピンのジャラニ判事は法廷に持ち出された事件に、前もって関与していたので
判事としては不適格でしたし、協定用語(法定での公用語)である英語と日本語が
ともに理解できないソ連のザアリヤノフ判事とフランスのベルナール判事も適切な
判事ではありませんでした。ましてや中国の梅汝敖判事は、本来裁判官ではなく、論外です。
裁判中の判事たちのふるまいも対照的でした。他の判事が観光旅行や宴会にうつつを
抜かしている間も、博士は、ホテルに閉じこもり、調査と執筆に専念していました。
裁判の間に博士が読破した資料は4万5千部、参考図書は3千部に及んだといいます。
しかも驚くべきことに、裁判を開く前に判決は決まっていたという事実が後に判明しました。
博士が、後にご子息、プロサント氏に「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ
決めている多数意見を称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実が
あったことを極秘にするために、誓約書への署名を強要された」と語り残しています。
博士はこのようなプレッシャーの中、断固として同調を拒否し続けたのでした。
博士の毅然とした態度は、占領軍、ひいてはアメリカ本国の誤算でした。
昭和21年の春、マッカーサー司令部は、すでに発布していていたチャーター
(極東国際軍事裁判条例)を改訂して、すでに任命している連合国9ケ国の
判事団に加え、当時は欧米列強の統治下であったフィリピンとインドから判事を
招聘することにを決め、英国政府を通じて、インド人の判事の選考を求めました。
選考の結果、選ばれたのがすでに世界の国際法学会で議長団のひとりとして
活躍していた国際法の学者、パール博士です。
なぜ、すでに決定していた判事段にフィリピンとインドの判事をあらたに加えようと
したのか、この駆け込みの変更も、東京裁判の性格を雄弁に物語っています。
当初選ばれた判事団には、アジアからは中国1ケ国だけしか入っていなかったからです。
あらたにアジア2ケ国(それも当時は完全な独立国ではありません)の判事を参加
させることによって、アジアの多くの国が日本を罪悪視しているという印象を演出
しようとしたのです。
とこらが、マッカーサー司令部の意に反して、高潔な法律家であった博士は、
「法の真理」に準じ、最後まで公正な判決をつらぬき通しました。
博士は、「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争を
したことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を
数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」と論じ「この裁判は文明国の法律に
含まれている貴い諸原則を完全に無視した不法行為」であると宣言しました。
仮に、東京裁判が名目通り「平和に対する罪」を裁く裁判だとしたら、世界の
いかなる国に対しても公正に国際法が適用してしかるべきです。裁くものは
戦勝国民で、裁かれるものは戦敗国民などということがあってはならないはずです。
戦争に勝った者が正しく、戦争に負けたものが正しくないなどという理屈は
天地がひっくり返っても通らないからです。
英文にして1,275ページ、日本語にして百万語に及ぶ博士の意見書の
末尾には、こう書かれています。
「ただ勝者であるという理由だけで、敗者を裁くことはできない」
「戦後の 歴史の真実」 前野徹著
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/cf9qa4nhbfffca5ga5b_1/39435.html