日本を拠点に中国近代化を成し遂げた(1)
投稿者: npo23122000 投稿日時: 2005/05/21 18:53 投稿番号: [37653 / 95793]
日本を拠点に中国近代化を成し遂げた革命の父・孫文
(1)
中国、韓国と日本の間には長い交流の歴史があります。
7世紀には日本が中国に遣隋使を派遣して以来、同じ漢字文化圏として
日本とは密接な関係を築いてきました。日本は中国の大陸文化を学び、
白鳳文化、天平文化を花開かせていきます。
中国からも徐福や鑑真らが日本にやって来て、日本人の精神や文化に大きな
影響を与えました。
中国が「近くて遠い隣国」になってしまったのは、長い歴史から見れば、ほんの
つい最近のことです。
戦前には交流が盛んで、明治維新によって一足早く近代化を成し遂げた日本に
学べとばかり、たくさんの留学生が日本を訪れていました。とくに日本が強国
ロシアを破ったことは、欧米の植民地となっていたアジアの人々を大変勇気
づけ、民族の独立への希望と自信を与え、日本留学を望む若者が絶えませんでた。
とりわけ中国からの留学生が増加したのは、日本に敗北した日清戦争以降です。
敗北に愕然とした清朝政府は、1896年、最初の官費留学生13人を送ります。
以来、官費留学生、私費留学生ともに年々急増、日露戦争後の1906年には、
その数はピークに達し、1万2千人にもおよんでいたほどです。
日本で近代化思想を学んだ留学生たちの間で革命思想が高まり、中国の近代化を
図りたいという願う留学生たちが徐々に増えていきました。こうした革命勢力を
結集し、中国を近代化に導いたのが中国近代革命の父、孫文です。
中国・広東の貧しい農家に生まれた孫文は、14歳の時、ハワイで成功を収めていた
長兄の招きで渡航し学校に入りましたが、キリスト教徒になったために長兄の怒りを
買い、郷里に戻って農業に従事します。
しかし、その才能を惜しむ郷里の人々の助力で、孫文は広東の香港の医学校で学び、
マカオで医師として開業しました。貧しい者からは治療費をほとんど取らない孫文の
名声はたちまち周囲の知るところとなったといいます。
海外で民主主義にふれた孫文は日清戦争が勃発すると、ハワイで秘密結社「興中会」を
組織、清朝打倒に立ち上がり、広東で挙兵しました。しかし、これは失敗に終わり、
孫文は日本に密航して難を逃れ、ハワイ経由でイギリスに渡り、革命理論を学びます。
これが後に三民主義といわれる孫文の思想の基礎となるのですが、彼が民主主義の
精神を本当に確立したのは、その後、日本にきてからだといわれます。
イギリスで清朝の官吏に追われ孫文は、再び来日、日本を拠点に革命組織を集めようと
しました。
中国、韓国と日本の間には長い交流の歴史があります。
7世紀には日本が中国に遣隋使を派遣して以来、同じ漢字文化圏として
日本とは密接な関係を築いてきました。日本は中国の大陸文化を学び、
白鳳文化、天平文化を花開かせていきます。
中国からも徐福や鑑真らが日本にやって来て、日本人の精神や文化に大きな
影響を与えました。
中国が「近くて遠い隣国」になってしまったのは、長い歴史から見れば、ほんの
つい最近のことです。
戦前には交流が盛んで、明治維新によって一足早く近代化を成し遂げた日本に
学べとばかり、たくさんの留学生が日本を訪れていました。とくに日本が強国
ロシアを破ったことは、欧米の植民地となっていたアジアの人々を大変勇気
づけ、民族の独立への希望と自信を与え、日本留学を望む若者が絶えませんでた。
とりわけ中国からの留学生が増加したのは、日本に敗北した日清戦争以降です。
敗北に愕然とした清朝政府は、1896年、最初の官費留学生13人を送ります。
以来、官費留学生、私費留学生ともに年々急増、日露戦争後の1906年には、
その数はピークに達し、1万2千人にもおよんでいたほどです。
日本で近代化思想を学んだ留学生たちの間で革命思想が高まり、中国の近代化を
図りたいという願う留学生たちが徐々に増えていきました。こうした革命勢力を
結集し、中国を近代化に導いたのが中国近代革命の父、孫文です。
中国・広東の貧しい農家に生まれた孫文は、14歳の時、ハワイで成功を収めていた
長兄の招きで渡航し学校に入りましたが、キリスト教徒になったために長兄の怒りを
買い、郷里に戻って農業に従事します。
しかし、その才能を惜しむ郷里の人々の助力で、孫文は広東の香港の医学校で学び、
マカオで医師として開業しました。貧しい者からは治療費をほとんど取らない孫文の
名声はたちまち周囲の知るところとなったといいます。
海外で民主主義にふれた孫文は日清戦争が勃発すると、ハワイで秘密結社「興中会」を
組織、清朝打倒に立ち上がり、広東で挙兵しました。しかし、これは失敗に終わり、
孫文は日本に密航して難を逃れ、ハワイ経由でイギリスに渡り、革命理論を学びます。
これが後に三民主義といわれる孫文の思想の基礎となるのですが、彼が民主主義の
精神を本当に確立したのは、その後、日本にきてからだといわれます。
イギリスで清朝の官吏に追われ孫文は、再び来日、日本を拠点に革命組織を集めようと
しました。
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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