農は本(二宮尊徳夜話)
投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2005/05/10 15:54 投稿番号: [32689 / 95793]
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農は本なり、本を養えば末必ず栄ゆ∞∞∞∞∞∞
翁は言われた。そもそも物の根源というものは必ず卑しいものだ。卑しいからと
いって根源を軽視するのは間違っている。
家屋などは土台があってそれから後に
床も書院もあるようなもの。土台は家の本(もと)だ。民というのは国の本であ
るしるしだ。
さていろんな職業があるがその中では農業を本とする。というのは
自分で作って食べ、自分で織って着るという道を勤めるからだ。この道は国中皆
がこれを行っても差支えがない事業だ。このような大本の仕事が卑しいのは根源
であるからだ。
およそ物を置くのに、最初に置いたものが必ず下になり、後から
置いたものが必ず上になるのが道理で、つまり農民は国の大本であるために卑し
い。あらゆること世界中で皆が行っても差し支えのない職業こそが大本だ。公務
員が貴いからといって全国民が公務員になったらどうなる。きっとやっていけな
い。兵士が貴重だからといっても国民すべてが兵士になってはやはりやっていけ
ない。工業は必要だといっても全国皆がブルーカラーではきっとやっていけない
。商業も同じ。
それなのに農業は大本であるがために全国の人民皆が農民になっ
ても、差し支えなくやっていける。ということで農業がすべての職業の大本であ
ることはこれで明瞭。
この理論を究めれば古くからの沢山の惑いが破れ、大本が
定まって、末の職業も自然とわかるだろう。だから世界中で行ったら差し支えの
あるものを末の職業とし、差し支えのないものを本の職業とする。公明な理論で
はないか。だから農業は本である。手厚くしなければならない。養わなければな
らない。
その元を厚くしその本を養えば、その末がおのずから繁栄することは疑
いない。枝葉というものはみだりに折ってはいけないけれども、その根が衰えた
ときには、枝葉を切り捨て、根をこやすのが培養の法である。
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解
説
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「本末」という言葉は「大学」の第1章にある。
『物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知ればすなわち道に近し』。
ものの見方考え方の基礎。文科系にも理科系にも通じる。
尊徳の時代には朱子学は中等教育の必修だったのでこの言葉で誰にでも理解できた。
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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