日本に戦争責任なし
投稿者: kabenisiroaru 投稿日時: 2005/05/05 19:28 投稿番号: [29871 / 95793]
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日中戦争は、ソ連のコミンテルンが企み、中国共産党に仕掛けさせたものです。
中共はコミンテルンの指令に基づき盧溝橋事件を仕掛けました。
日本は戦争する気はなかったので、さっさと止めようとしたのですが、中国側が中々応じませんでした。
やっとの事で停戦協定を結んでもその日の晩に攻めて来る始末。
その後も、大紅門事件、郎坊事件、広安門事件と事件を起こし、何度話し合っても無駄。
遂に切れた日本軍は、実力行使に転じました。そうすると、今度は通州で約260名もの日本人居留民が虐殺されたのです。
それでも日本は和平を諦めず、“今まで獲得した権利を殆んど放棄する”という滅茶苦茶、譲歩した案件をもって上海に会談を設定しました。
ところが中国はその日に、上海で海軍の大山中尉を惨殺してこれをぶち壊しました。
中国は、早くから上海攻撃を計画し、保安隊を上海の周りに配置しながら包囲網を圧縮していたのです。
大山中尉はこれに出くわして殺されたようです。
中国側の態度に危険を感じた現地の海軍は、警備の都合上、陸軍の応援を頼むのですが、参謀本部の石原少将は、これを《上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない》と断りました。
仕方がないから海軍は、陸戦隊を1200名程増派します。ところが追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、日本人居留区は既に保安隊に包囲されていました。
そして、この日の夜、中国は上海北西の鉄道を抑えて、上海に12万の大軍を送り込み、12日には通称日本租界を包囲、保安隊に取って代わったのです。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊四千名のみ、とても中国の大軍を相手に出来ません。そこで改めて陸軍の派遣を要請しました。
この日、中国は上海の大河“黄浦江”と揚子江の江陰という所に船を沈めて川を封鎖。13日から攻撃開始、14日には上海の市街地を爆撃しました。
日本政府は13日になって、やっと陸軍の派遣を決定します。
陸軍は上陸までの日数を、本来20日かかる所を、必死で縮めて10日にしました。しかし中国軍が待ち構えているので苦戦します。
それでも何とか、中国軍を駆逐した日本は、大幅に譲歩した停戦案を出しました。
ところが、中国は、これも蹴って、国際連盟に「日本が侵略していると」訴えたのです。自分の方から戦争を仕掛けていながら。
仕方ないから、日本は南京を攻略しますが、それでも和平に応じません。中国は、ティンパーレやベイツ等の外国人を金で雇って、南京大虐殺等の作り話を捏造させ、日本の悪を世界に宣伝してもらいました。
中国の嘘宣伝に騙された外国は、中国に武器や軍事技術者を援助します。
その為、戦争が終わらなくなったのです。
中国に戦争を止めさせるには、援蒋ルートを断つしかなくなりました。そこで仏印に進駐すると、米国に石油や鉄等をとめられ、ABCD包囲網を敷かれ、最後にハルノートを突きつけられ真珠湾攻撃をせざるを得ないようになったというわけです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&board=1143582&tid=ffckdca4nc0oahc0uga4&sid=1143582&action=m&mid=50&mid=
日中戦争は、ソ連のコミンテルンが企み、中国共産党に仕掛けさせたものです。
中共はコミンテルンの指令に基づき盧溝橋事件を仕掛けました。
日本は戦争する気はなかったので、さっさと止めようとしたのですが、中国側が中々応じませんでした。
やっとの事で停戦協定を結んでもその日の晩に攻めて来る始末。
その後も、大紅門事件、郎坊事件、広安門事件と事件を起こし、何度話し合っても無駄。
遂に切れた日本軍は、実力行使に転じました。そうすると、今度は通州で約260名もの日本人居留民が虐殺されたのです。
それでも日本は和平を諦めず、“今まで獲得した権利を殆んど放棄する”という滅茶苦茶、譲歩した案件をもって上海に会談を設定しました。
ところが中国はその日に、上海で海軍の大山中尉を惨殺してこれをぶち壊しました。
中国は、早くから上海攻撃を計画し、保安隊を上海の周りに配置しながら包囲網を圧縮していたのです。
大山中尉はこれに出くわして殺されたようです。
中国側の態度に危険を感じた現地の海軍は、警備の都合上、陸軍の応援を頼むのですが、参謀本部の石原少将は、これを《上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない》と断りました。
仕方がないから海軍は、陸戦隊を1200名程増派します。ところが追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、日本人居留区は既に保安隊に包囲されていました。
そして、この日の夜、中国は上海北西の鉄道を抑えて、上海に12万の大軍を送り込み、12日には通称日本租界を包囲、保安隊に取って代わったのです。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊四千名のみ、とても中国の大軍を相手に出来ません。そこで改めて陸軍の派遣を要請しました。
この日、中国は上海の大河“黄浦江”と揚子江の江陰という所に船を沈めて川を封鎖。13日から攻撃開始、14日には上海の市街地を爆撃しました。
日本政府は13日になって、やっと陸軍の派遣を決定します。
陸軍は上陸までの日数を、本来20日かかる所を、必死で縮めて10日にしました。しかし中国軍が待ち構えているので苦戦します。
それでも何とか、中国軍を駆逐した日本は、大幅に譲歩した停戦案を出しました。
ところが、中国は、これも蹴って、国際連盟に「日本が侵略していると」訴えたのです。自分の方から戦争を仕掛けていながら。
仕方ないから、日本は南京を攻略しますが、それでも和平に応じません。中国は、ティンパーレやベイツ等の外国人を金で雇って、南京大虐殺等の作り話を捏造させ、日本の悪を世界に宣伝してもらいました。
中国の嘘宣伝に騙された外国は、中国に武器や軍事技術者を援助します。
その為、戦争が終わらなくなったのです。
中国に戦争を止めさせるには、援蒋ルートを断つしかなくなりました。そこで仏印に進駐すると、米国に石油や鉄等をとめられ、ABCD包囲網を敷かれ、最後にハルノートを突きつけられ真珠湾攻撃をせざるを得ないようになったというわけです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&board=1143582&tid=ffckdca4nc0oahc0uga4&sid=1143582&action=m&mid=50&mid=
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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