韓国教科書の「千里長城」ー2
投稿者: oldsaltoshima 投稿日時: 2005/05/04 07:19 投稿番号: [28990 / 95793]
トピずれとお叱りを受けるかも知れませんが、「正しい歴史認識」に関連することと
ご勘弁願います。
日立平凡社の「CD版世界大百科事典」の中で千里長城を検索してみた。一つだけ見つかったが、それは宮本長二郎氏の高麗美術の項で書かれている「顕宗(在位1010‐31)のときには首都に外城を築いた。また半島西側の鴨緑江河口から東海岸の定平に至る千里長城を築いて北方民族に対する防備を固めた。」という記述だけである。
肝心の同辞典の高麗史の中には記述がない。
宮本氏はどこの、どんな資料で千里長城の史実を掴んでいるのか不明である。
寺院の建築などの専門家ではあるが、歴史の専門家ではないと思うが、韓国側の
最近の歴史書から取り入れた可能性がないだろうか?
高句麗研究会(韓国の団体)の記事と中学教科書の記述も矛盾するものである。
中学教科書は鴨緑江河口から元山付近まで、万里の長城と同じマークで書かれ、元山付近では長城が二重になっていて、全く疑問の余地がないような書き方だ。
しかも、高麗時代に作られたものとなっている。
高句麗研の今回発表の記述は、1500年前と書かれているから高句麗時代を言っている。
どなたかインターネット上に韓国の歴史の年表を発表しているのを以前見つけたが、
それによると千里の長城は631年高句麗の時代に築城を初め、16年後に完成。
と書かれ、同じ年表で1033年高麗の時代契丹の侵入に備え千里長城の築造が
始まる、11年後の1044年に完成とある。
即ち、千里長城は2回作られたことになってしまうのだが、教科書は高麗時代を
書いている。
そこらの整合性はどうなっているのだろう。
総ての疑問に答えられて初めて歴史として認知されるのではなかろうか。
高句麗研究会のHP
http://www.searchnavi.com/~hp/koguryo/cholli-9.htm
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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