犠牲の上に築かれる成果
投稿者: uncle58jp 投稿日時: 2005/05/03 09:31 投稿番号: [28507 / 95793]
福知山線事故で107人もの方が犠牲になりました。方々に対しては哀悼の念を表し、ご冥福をお祈りするほか、一般庶民としてはなすすべはありません。
しかし、この犠牲は、必ず今後のより安全な鉄道交通システムの構築に結びつくことでしょう。
八高線、三河島、鶴見、知っているだけでも年がバレますが、これらの犠牲はその後の安全技術の開発と普及を確かにもたらしました。
残念なことではありますが、犠牲がその後の改善の成果に結びつく契機となることは歴史上も繰り返されてきたことだし、今後もそうなのでしょう。(ただし、逆は必ずしも正ならずで、犠牲がなければ改善もないということはありませんが)
鉄道事故ばかりではなく、航空機事故、自動車事故、そして地震、水害、公害、薬害、食品事故、そして最大の災害・戦争に至るまで、犠牲−原因究明−反省−対策の繰り返しによって今日があります。犠牲者はすべて今ある社会の礎となってきたことに思い至ります。
しかし、そうだからと言って、犠牲者が宗教的に美化されることには大きな危惧があります。
それは、例えてみれば次のようなことです。
もし、今回の107人の犠牲者が「JR神社」に神として祀られるようなことがあれば、それはJR指導者の責任をあいまいにし、原因究明と対策の努力をおざなりにすることに繋がるということです。
このことは、戦死兵士を英霊に祭り上げることによって、この60年間を通じて行われてきたことです。
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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