>武力行使をみる二つの視点
投稿者: moriya99 投稿日時: 2005/05/01 17:34 投稿番号: [27552 / 95793]
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当時を生きた人は想像できないほど苦しい思いをしたと思います。
ですが、感情論と世界単位での観点は一緒に語っては、話がややこしくなってしまう訳で。
このレベルでの食い違いが、なかなか話の解決を生まない要因であるようにも時々思えます。
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筆舌に尽くしがたい悲惨でしょうね。お祖父様にも、母親がいて、妻子がいて、どんな思いをなされていたでしょうか。苛酷な生活だけでなく、苦悩は生涯、消えなかったでしょうね。靖国問題ひとつにも、複雑な思いを隠されているでしょう。
戦争を語るとき、二つの視線があると思います。武力行使には国家の戦略としての意味や読みがあります。と同時に戦火の下で、戦場で犠牲になる者の視線があります。かなり乖離したものじゃないでしょうか。
国家の戦略を語っていると、誤解されやすいですが、軸足はいつも、戦争の犠牲になるものの視線に置きたいですね。私は間違いなくそっちの人間になります。戦争で失うものをみていたいです。それを忘れた国家戦略など、容認してはいけないと思っています。
どんな高邁な思想も、国家戦略も、世界戦略も、平和の願いも、戦争で犠牲になるもの、圧政で人間の尊厳を奪われた者の存在が抜け落ちていたら、意味がありませんね。私たちの日常生活が抜け落ちていたら意味がないですね。誰かの犠牲を想定した平和など意味がないです。
これを融合して、キチンを考えていけるような勉強をして行く。世界のことを考えるのも、足元の問題とキチンと連動してないと、意味がありません。それが、当面の課題のような気がしています。私の場合は…。
私は、戦争はこの世で一番、美しい仮面を被った極悪で、比較する形容詞のない醜悪なものだと思っています。
そして、歴史に勝った戦争がない、という事実もしっかりみていたいと思っています。
これは メッセージ 27504 (ofresiasp さん)への返信です.
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