中華人民共和国のことも入ります
投稿者: assocy 投稿日時: 2005/05/01 01:38 投稿番号: [27239 / 95793]
おっしゃるとおりでして、それは当然のことと考えます。
>日本だけが国家を否定したところで、世界は何も変わらない。
まさしく、その通りです。どこがどこをのっとるか、ヨーロッパのようにリージョンステートを形成するか、より大きな単位のブルジョア
国家が成立する可能性は、かなりの程度あると思いますが、その場合は、そこで、国家を否定する戦いが行われます。今のような細分化
された状態よりも、むしろ好都合かもしれません。
>ブルジョアを悪としているけど
一個の人間としてのブルジョアを良いとか悪いとか言っているのではないのです。生活様式のブルジョア的形態が問題なのです。人権エゴ
イズムの蔓延による公共性の衰退やそれに対する反発としての国家主義・排外主義の台頭は、ブルジョア的生活様式の必然的帰結であって、
日本だけのことではないことが今回の騒動ではっきりしてきました。
>独占的権力を持つ者はどんな形態であれブルジョアになり得る。
同意いたします。
>人間の本質かも。
下に出てくる原始社会の話が、一応この点の検証になると考えられています。必ずしも権力独占を必要としない社会もあったということです。
しかし、そうは言っても、資本主義に変わる社会において権力独占をなくすに当たって原始社会のまねをすればいいということにはならない
と思います。トフラーのアドホクラシーの議論などが参照されるべきです。
マルクス、レーニンは明らかにブルジョアジーの出自を持ちますが、彼らは自分たちの生活様式の克服を労働する諸個人の手にゆだねまし
た。なぜなら、ブルジョア的生活様式そのものは、労働する諸個人によって産出されるものなので、労働する諸個人が自ら、この生活様式
の揚棄に立ち上がらない限り、克服されることはないからです。
>「原始共産制」→「奴隷制」→「封建制」→「資本主義」→
>「社会主義」→「共産主義」と断定する。
>マルクスが人間が動物状態(自然状態)にあった「原始共
>産制」を理想社会とした理由は、
彼がルソーの「人間不
>平等起源論」に心酔していたからである。”
いやぁー、こういう俗流的「解説」にはほとほと迷惑しております。実際、仕事に差し支えます。営業妨害で訴えたいくらいです。どうか、
あまりばら撒かないようにお願いします。
マルクスは五つから六つの生産様式、もしくは社会構成体について幾つかのテキストで述べていますが、彼はこれらの生産様式を横一列には
並べていません。
基本的には、資本主義を基準にして、それ以前とその後という、3段階で捕らえているのです。
人格依存的共同体の諸形態→物象的依存の資本主義→アソシエイション
です。
ルソーの影響は間違いなくありますが、ルソーとて、原始人の生活を理想としていたわけではありません。彼の自然状態は理論的に導かれた
フィクションで、当時まだ原始時代の実際の生活状態については良くわかっていなかったのです。
マルクスの時代に至って、バッハオーフェン、モルガン等の研究によってようやくおぼろげながらにわかってきたことがあった程度です。
マルクスは、主としてモーガンの研究について詳細なノートを残し、モーガンから多くを学び取ろうとしましたが、そのポイントは、原始社
会が丸ごと復活されるべきという話では全然なく、資本主義とはかなり様子の違う社会を人間が構成していた事実があったこと、したがって、
資本主義は唯一可能な生産様式とはいえないということの確認と、資本主義以前の社会の構成要素の中には将来復活するものもあるだろうと
いうことです。
マルクスは原始社会ではなく「大工業」に未来社会の可能性を見たのです。
中国は国家資本主義です。これは、後進国が資本主義を導入するに当たってとる社会構成ですから、ご指摘のような特徴が確かに認められる
と思います。
>日本だけが国家を否定したところで、世界は何も変わらない。
まさしく、その通りです。どこがどこをのっとるか、ヨーロッパのようにリージョンステートを形成するか、より大きな単位のブルジョア
国家が成立する可能性は、かなりの程度あると思いますが、その場合は、そこで、国家を否定する戦いが行われます。今のような細分化
された状態よりも、むしろ好都合かもしれません。
>ブルジョアを悪としているけど
一個の人間としてのブルジョアを良いとか悪いとか言っているのではないのです。生活様式のブルジョア的形態が問題なのです。人権エゴ
イズムの蔓延による公共性の衰退やそれに対する反発としての国家主義・排外主義の台頭は、ブルジョア的生活様式の必然的帰結であって、
日本だけのことではないことが今回の騒動ではっきりしてきました。
>独占的権力を持つ者はどんな形態であれブルジョアになり得る。
同意いたします。
>人間の本質かも。
下に出てくる原始社会の話が、一応この点の検証になると考えられています。必ずしも権力独占を必要としない社会もあったということです。
しかし、そうは言っても、資本主義に変わる社会において権力独占をなくすに当たって原始社会のまねをすればいいということにはならない
と思います。トフラーのアドホクラシーの議論などが参照されるべきです。
マルクス、レーニンは明らかにブルジョアジーの出自を持ちますが、彼らは自分たちの生活様式の克服を労働する諸個人の手にゆだねまし
た。なぜなら、ブルジョア的生活様式そのものは、労働する諸個人によって産出されるものなので、労働する諸個人が自ら、この生活様式
の揚棄に立ち上がらない限り、克服されることはないからです。
>「原始共産制」→「奴隷制」→「封建制」→「資本主義」→
>「社会主義」→「共産主義」と断定する。
>マルクスが人間が動物状態(自然状態)にあった「原始共
>産制」を理想社会とした理由は、
彼がルソーの「人間不
>平等起源論」に心酔していたからである。”
いやぁー、こういう俗流的「解説」にはほとほと迷惑しております。実際、仕事に差し支えます。営業妨害で訴えたいくらいです。どうか、
あまりばら撒かないようにお願いします。
マルクスは五つから六つの生産様式、もしくは社会構成体について幾つかのテキストで述べていますが、彼はこれらの生産様式を横一列には
並べていません。
基本的には、資本主義を基準にして、それ以前とその後という、3段階で捕らえているのです。
人格依存的共同体の諸形態→物象的依存の資本主義→アソシエイション
です。
ルソーの影響は間違いなくありますが、ルソーとて、原始人の生活を理想としていたわけではありません。彼の自然状態は理論的に導かれた
フィクションで、当時まだ原始時代の実際の生活状態については良くわかっていなかったのです。
マルクスの時代に至って、バッハオーフェン、モルガン等の研究によってようやくおぼろげながらにわかってきたことがあった程度です。
マルクスは、主としてモーガンの研究について詳細なノートを残し、モーガンから多くを学び取ろうとしましたが、そのポイントは、原始社
会が丸ごと復活されるべきという話では全然なく、資本主義とはかなり様子の違う社会を人間が構成していた事実があったこと、したがって、
資本主義は唯一可能な生産様式とはいえないということの確認と、資本主義以前の社会の構成要素の中には将来復活するものもあるだろうと
いうことです。
マルクスは原始社会ではなく「大工業」に未来社会の可能性を見たのです。
中国は国家資本主義です。これは、後進国が資本主義を導入するに当たってとる社会構成ですから、ご指摘のような特徴が確かに認められる
と思います。
これは メッセージ 27019 (i_1394 さん)への返信です.
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